むかしばなし

ケンケンのむかしばなし9 山の集まりごと

山の集まりごと

町でも山でも集まりごとには葬式がある。私が幼い頃は自宅で葬儀をする風習だから近所が炊き出しなど手伝わねばどうにもならない。通夜の準備から葬儀の当日と終了後は会食がある。お通夜は故人を忍びながら宴会をすると良いと聞いている。葬儀の後は「おとき」という食事をとりなさいと言われた。幸いにして家族が幼い頃に亡くなることはなかった。実家、本家での数少ない葬儀の経験でしかない。これは他人事で悲しいとか死が怖いとは思わなかった。つまりは人の生死を身近に経験することは少なかった。それでも山の生活は恐ろしい話しがあるのでいつ魔物にさらわれるか、魂をとられるのか、妖怪はすぐにそこにいるような気がしていた。私は「おそれ」(臆病)だったから、死を恐れるよりもお化けが怖い、夜が怖いと思うほうが強かった。「そこに何かおるよ」、この方が怖い。

我が家の山下は墓場への葬式行列が通る道があった。墓原への途中に小さな広場があってセメントの台があった。「母ちゃんこれなあに?」「この道は墓原に行く道じゃ、行列はここで休むところ、その台は棺桶を置く台じゃ」。昔はそばに六地蔵もあったらしい。収田や奥の畠に行く細道が葬送の道だった。さすがに私が生まれた時代は火葬となっていたので葬送行列は見たことがない。しかし墓参りには車が通れない道(軽トラがギリギリ)だったので長らく、とぼとぼ歩いていくしかなかった。それは不便な場所であったが近年、ようやく車で行けるように道が整備された。人里離れた墓地は意味があったのだろうが、今では年配者は墓参りに行けない。その子孫は墓の場所さえ忘れてしまう。同じような川向いの集落の墓地はごっそり、海の見える丘に移した。こちらは国道の近くで墓参りがしやすい。我が家の墓近くには荒れた他家の墓があって見るのはつらかった。そもそもこの共同墓地に名前はあるのだろうか。通称は墓原(はかばら)。

地域の人々が手入れをして今の墓場は全体がきれいになっている。何故お参りもできないような場所に墓地を作ったのか。聞いた話だが「死」とは穢れであり、できれば遠ざけたい、という信仰もあったらしい。地域、地方、宗派の違いはあるだろうが、遺体を土葬する、という時代は、住宅地からは遠くに埋葬したい、ということらしい。その分よけいに人里離れた墓場は恐ろしい場所となったのだろう。私は子供の頃はお盆にお墓参りに行くだけだった。なんと姉は子供の頃は墓場で本を読んでいたという。「姉ちゃん、なんで墓場に行くん?」「静かでええんよ」と気にしない様子だった。山奥の墓場で、人が姉をを見かけたら「座敷わらし」に見えたかもしれない。これは縁起が良いか。

飼い犬は夕方から放し飼いにしていたが翌朝には必ず戻ってきていた。猫はどこで何をしているか知らないが戻ってこないと心配である。クロという雑種犬を長く飼っていたので私には印象深い。ある朝、坂道で倒れていたのを祖母が発見した。まだ息があった。みんなで声をかけたが、やがてみんなに見送られてクロは逝った、幸せな犬だ。山の畠に墓を作って埋めた。猫はどこで死ぬのかはわからない。

 

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