むかしばなし

夏休みと冬休み

小学校低学年の頃は夏休みと言えばラジオ体操とプールの思い出だろうか。後は絵日記や読書感想文。山中に育った私の夏は蝉の鳴き声に起こされて夜は蛙の鳴き声で眠れない。朝の涼しいうちに勉強しなさいと学校や親は言うけれどうるさくて暑くて毎日のドリルなどはかどらなかった気がする。10時までは自宅勉強、ということで外に遊びに行くこともならず。山下のO家の子供に見つかって密告されてはかなわない。今思えば私も真面目であった。10時になると街中からチャイムが聞こえて「外に出かけてよい、遊んで良い」の合図。暑い中、蝉取り、トンボ取りをして一通りは一人で遊んだ。成果を友達に見せびらかそうにも街中まで行くわけにもいかない。親に見せてみな逃がしたような気がする。山下の小川に入ってメダカや鮒も取った。当時はまだ土手のままでコンクリートになったのはずっと後のこと。川土手の石垣に網をつっこむと魚が取れた。自宅にはセメントで固めた水槽があったので小魚はそこに入れてしばらく飼った。

海水浴は父の勤める工場のバス旅行を利用した。多人数だし私の両親と兄弟もそろって行ったことがある。山陰の海はきれいだった。やがて姉と母が参加しなくなった。私は小学校の地域で行く海水浴に一人で参加するようになった。それはそれで楽しかった。小学校の校庭でキャンプもあったしお寺での合宿もあった。お寺は我が家が浄土真宗なのでその系列のお寺に参加した。知らない仲間が多かったけれど初日から本堂の掃除、夜の会食、坊さんの説教、仏教の教えを入れた替え歌を合唱した。その後は花火で遊ぶ。翌朝も早くから掃除して朝のおつとめ(読経)。あとはプールに行って遊んだような気がする。夏休みの宿題は…9月の提出で間に合わなかったことは無い。

冬休みは短いが子供ながらに行事が多くて楽しかった思い出が多い。まずはクリスマスがやってくる。実は我が家は祖父母との夕食では行事はない。軽く済ませてあとから親子5人でケーキを食べた。父は西洋の祭りに興味は無さそうだった。無理もない、戦前生まれの父母が子供の頃に仏教の家でクリスマスを祝うことはない。それでもクリスマスプレゼントはちゃんとあった。小学校時代はいつもプラモデルだった。初めは戦車か戦艦あたりだったか。名古屋城か大阪城のプラ模型もあった。年末は餅つきと大掃除の行事。餅つきは正月用、旧正月は2月だし端午の節句と3回は餅つきがあった。大掃除も屋敷と言えるほどの広さだから祖父母、両親は大変だったろう。子供達はろくに役に立たないけれど雑巾がけやら庭の落ち葉掃除などのお手伝いはしたと思う。寒い中、家の窓や戸を開け放すので寒かった。暖房は炬燵と火鉢しかない時代、窓も木枠なので室内と外気温が同じ。それは今でも実家の自慢である。

大晦日の夕食はそばを食べた。紅白歌合戦を見て両親は12時前に出かけて近所の氏神様である八幡惣社に初詣していた。私も小学校高学年からだったか、一緒に行くようにして長らく続いた。雪の年末年始は無かったように思う。正月はお年玉集めが楽しみであった。

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