むかしばなし

町の子と山の子

私の育った町は江戸時代、半宿という本陣のない宿場町だった。大名ではなかったが殿様はいた。教育熱心だったので幕末から寺子屋などが盛んだったようだ。明治時代後半に鉄道駅が出来て新たに駅前商店街が発展した。そして小学校や女学校ができてそれぞれ100周年を迎えるという歴史ある土地柄だった。駅前商店街は県内各地から人が集まったようだ。さすがに初代は苦労しただろうが二代目は順調に町の成長とともに成功したことだろう。私の同級生は大体その三代目だった。私の場合は曾祖母が瀬戸内から出てきて町南の山中に住んだのが初代、祖父が二代目で父は三代目、私は四代目になる。山中での同級生はいなかった。先輩、後輩はいたが広い地域で分散していたので近所の幼馴染みはいないと言ってよい。ところが当時(昭和30年代)の町中は中世から続く宿場町(本町)と駅前の新興商店街(千町)が融合して活況を呈していた。その子弟らも当然、鼻息の荒い様子だったというのは今でも想像に難くない。つまり生意気な子供が多かった。

その町中に古い寺社があり殿町があり、そこで育った子らは目に見えない結束があったように思う。生まれてからずっと近所に同じような子供が沢山いて、いつも小学校や路地裏で一緒に遊んでいたのだ。別々の幼稚園に行っても朝や夕方は常に合流する遊び仲間なのだ。知らずに一体感と競争意識はつくものだろう。競争は本人もそうだが親の方がもっと強烈だったかもしれない。高度成長期、町は発展、近くのオートレース、ボートレースも大人気の時代。2代目、3代目の成功者は、その子供達もさらに栄光あれ、と競い合ったことだろう。

そんな集団に私は幼稚園に入る前から挑んでいたことになる。祖父の自転車に乗せられて造り酒屋、駄菓子問屋、和菓子屋、玩具屋に通っていた。祖父には将棋仲間であるが私はその家の同年代の子供達と一緒に遊んだ。幸いいじめられもせず、大体、寛容に受け入れてもらったようだ。その後、大きくなって昔話をすると多くの相手は覚えていないという。「あんたとは昔から遊んだよな」とは言われるけれど。私の幼稚園は年中(4歳)から通ったが初めから町中もんには負けていなかったと思う。体格は上々、自己主張の物言いはしっかりとしていたから(自称)、すぐにリーダー格(当時はガキ大将)になった。そうは言っても朝集まって、夕方は別れ別れとなる。街中もんは四季の祭りや寺社の行事でしばしば近所で集まりがあるものだ。祭りや遊び事が昨夜あったとか、土日にあったという話題になると私にはわからない。

「山のもんはそんなん知らん」、と割り切る術を子供の頃から私は会得した。そんな些末なことはどうでもよい。私にとって大事なことは今日の昼間のこと。幼稚園なら何をして遊ぶか、小学校に行けば授業と給食が大事だった。私は流行のテレビも見なかった。そんな話題なら無視していた。それもまた私をミステリアスなと思われたかもしれない。小学校時代、みんなが遊んで盛り上がっている最中でも時間が来れば「席についてください」「静かにしてください」と言うのが私の役割。けじめとクールさで私は町の子達に対抗していたのかもしれない。

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