むかしばなし

ケンケンのむかしばなし1 眠れない夜

ケンケンのむかしばなし

忘れないうちにと思い出話を書き残す先輩がいた。「勿忘草」という表題を見て感心したことがある。江戸時代の聞き書きには「耳袋」などという表題もあった。洒落たものだ。私も同じような気分として、地元の話、親から聞いた話、不思議な話を今のうちに書き留めておこうと思って書き始めてみた。内容は私が生まれた昭和35年1960年~昭和45年1970年頃までが中心である。(本家の新築昭和28年)

眠れない山の夜

家は山の上にあった。私はそこで生まれた。町から南に離れていたが夜になれば町の明かりがかろうじて見えた。夜汽車の音も毎晩聞こえたが思い出すと何やら物悲しい。北側は平野が見下ろせたが南側は鬱蒼とした森であった。夜は真っ暗になる。子供の頃は山の神はいるものだと思っていた。夜に兄弟げんかをすれば「山に連れて行くど」と父に脅かされるとおとなしくしたものだ。父親は幼い頃(4歳の時に養子に来た)、本当に義父に山中の木に縛られたことがあったそうだ。「山の夜は怖いど」と父が言っていた。それほど父も子供の頃は「どうかん坊主」(言うことをきかない暴れん坊)だったということになる。今でも月の無い夜、山の中は真っ暗だ。これでは誰も外に出ないはずだ。うかつに夜に口笛を吹くと母に叱られた。「夜に口笛を吹いちゃいけん、魔物がくるど」、しーっと母は怖い顔をして私をにらんだ。

夜は何の音もしない。都会に住んで田舎に行くと夜の静けさは妙に怖いと思う。静か過ぎるとちょっとした物音に怯えてしまう。「何の音?」昔の実家には庭に鶏小屋がいくつもあって鶏をたくさん飼っていた。それが夜の物音の原因のひとつである。時に大騒ぎの鳴き声が聞こえることがあった。大きな物音は「狐が来たか」と母が教えてくれる。夏だと「古い家には主と呼ばれる大きな青大将がおるんよ」、それが「卵を狙って鶏小屋に進入したかの」とまた恐ろしい話を追加してくれる。やがて静かになるが家の外を狐が徘徊しているような、大きなヘビがはい回っているような想像をしていつまでも眠れない。うとうとして朝をむかえる。そんな日は大体おねしょをしたように思う。

5月の終わりには田んぼに水が入る。それから夏のあいだ、カエルの大合唱が毎晩続く。実に見事な大合唱で誰か指揮をするカエルがいるようだった。山の下から、山の奥から、カエルの鳴き声が聞こえてきて子供の私は気になってしょうがない。ようやくうとうとすると急に大合唱がピタリと止まる。「なんでカエルが鳴くのが止まったん?」「さあ、何か通ったのかねえ」と寝言のように母が言う。なんてことだ、何が通ったというのだ、それは宙を舞うのか、怪しいモノにカエルは気配だけを感じて鳴くのを止めたのか。また妄想しているうちに「ケロ、ケロケロ、ゲロゲーロ」と指揮者かリーダーらしいカエルが鳴きだす。それを合図にまた大合唱が始まる。私は安心したが、またその鳴き声がうるさくて眠れない。そうして私は再び寝不足の朝を迎えるのだった。私の朝嫌いは幼少のころからだった。

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