むかしばなし

自転車とカメラ

小学校2年の頃だったか山下の友人宅にあったタイヤの無い自転車を一人で練習して自転車に乗れるようになった。兄の自転車は補助輪を使っていたからたまには乗ってみたが私には不要だった。その後、自転車を買ってもらった記憶がないから小学3年の頃は兄の自転車を共用していたかもしれない。兄は学校から帰ると出かける事は少なかったので私が借りて街中に出かけていたような気がする。ところが小学校4年の時に思いもよらず新車、変則5段付が私の愛車になった。父の手違いのせいか同じ日に2台の自転車が我が家にやってきた。父は引っ込みがつかず2台とも買う始末となった。一台がやや小ぶりだったのは私には幸いだった。オールステンレス製の自転車は当時の新型だった。兄の自転車は前輪がディスクブレーキというこれまた画期的な新車だった。私には足が届かない位置にサドルがセットされていた。急に新車が入ったので私は嬉しかったが当時はキラキラのウィンカー付きの自転車が流行っていた。それに憧れていたがシンプルなスポーツタイプ自転車だから文句は言えない。キラキラするライトは無かったが夜間に発電機を回して点けた前照灯は明るかった。テールランプも赤く灯る。特に冬の夜、雪道を走るのが楽しかった。5センチ、10センチと積もった新雪の中を自転車が走る、雪の轍は嬉しいものだ。自慢の愛車で町内の端から端まで行ってみた。私の行動範囲は大いに広がった。小学校の校区内の友人宅は遠くまでよく訪問した。5年6年になると友人宅に泊まるようになった。勿論双方の親の許可が必要だったけれど当時は実に大らかなものだった。

カメラの趣味は今も続いている。父もカメラ好きで自宅で現像、焼き付けをしていたほどだ。さらに旅行好きな父の趣味を私が受け継いだ、ということだろう。小学校4年生頃に全国で蒸気機関車のお別れ運転、廃止が増えてSLブームが起きていた。街中の同級生の中でも裕福家庭?インテリ家庭では親のカメラを借りたり買ってもらったりでチビッコカメラマンが増えていた。山中代表の私?も黒煙吐いて力強く走る蒸気機関車は大好きだった。父の愛用の一眼レフを使う勇気はなかったが当時3500円のメイカイカメラなら扱えそうで、これが欲しかった。当時は当然反対された。まだ早い、カメラだけでなくフィルム代、現像と焼き付代が高い、などの理由だった。当時、部屋を新築したばかりというという家計の事情もあった。でもいつもそんなに「無理、無茶を言わない」「家の手伝いをよくする」「学業優秀?」だからということでとうとう買ってもらった。これで同級生のエリート集団の仲間入りをした。カメラさえ持てばこちらのもの、というわけではないが撮った蒸気機関車の静止画写真は勿論、走行中写真も仲間から早くも高い評価を得た。カメラ熱の火付け役だったI氏の指導の賜物だろう。他にK氏に駅前の金持ちA氏からも実力を認めてもらった。静止画は構図が大事である。撮りたいものをバランスよく画面に配置する。これは絵画にも通じると思う。走行写真を上手く撮るには姿勢と動態視力。私の蒸気機関車熱は還暦を過ぎた今も続いている。

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