むかしばなし

ケンケンのむかしばなし12 山の食べ物~その壱~

山の食べ物~その壱~

我が家は自給自足が可能だったことは以前に記述した。実家の庭から前の山の斜面まで畠だった。おかげで季節の野菜はほぼ制覇したものだ。夏は繁茂する植物で遊ぶ庭が狭くなるのが難点であった。田んぼのコメは農協に出して稼ぎにしていた。私は成人して結婚しても実家から送ってくれるコメを食べ続けたので「コメなど買ったことはない」が自慢だった。鶏も沢山飼っていたので鶏卵に困ることはなかった。父はおやつに生卵を飲んでいた。毎夕、庭に放される鶏が思わぬ叢で卵を産み落としていることがある。それを発見すると褒めてもらえる。黄味が二つはいっている二黄卵(にきたまご)もたまに出くわすことがあった。二黄卵はやや大きいので外からでもわかる。タンパク質としては大豆も採れていた。山の肉と言われた大豆のおかず、自家製の味噌もあった。飼っている鶏を食べた記憶はないが、時々首を切った鶏を木にぶら下げていることがあった。今思えばそれは血抜きをしていたのだろうか。祖父が死んだか〆たかの鶏の羽をむしっていて、やはり中庭で大鍋に入れて煮込んでいた。傍のまな板には取り出したばかりの内臓が山になっていた。母は「あんな年寄りのかしわ肉は固くて旨くない」と言っていた。それよりも鶏を煮込むと強烈な匂いがした、臭くてたまらない。子供にとっては衝撃的な体験だったと思う。同じような体験をしたから鶏が食べられない、という先輩や知人が多数いる。私は子供の頃から、かしわ肉は好物であるがどうしたことか。

大人には毎夜のように刺身が出た。魚がなければ鯨の赤身、これは冷凍ものだった。カチカチに凍っていたこともある。そうなると「クジラか」と祖父は機嫌が悪かった。子供には煮魚、焼き魚もあるが小骨が多くて好きではなかった。魚は町で買って来るか、時には山下まで移動魚屋が軽トラで来ていた。ビニルに入った美しいナマコ(すでに切ってある)をたまに買っていた。いわゆるアオナマコだ。それしか知らなかったが大人になって知ったのがアカナマコ。こちらが柔らかくておいしい、そして高価。見た目はアオナマコがキレイだと思う。

夏の食べ物に鰻があった。生きた鰻を父が買ってくる。母がまな板に鰻の頭を釘で打ち付ける。皮をひん剥いたり内臓を取り出したりでまな板は血まみれとなる。一気に竹串にさして傍らの七輪に乗せて直焼きする。凄惨な光景を眺めていたのは私一人だろう。自家製のタレに浸けては焼いていると香ばしい匂いがした。父は美味そうに鰻の蒲焼をほおばる。「僕も食べる」と手が出たが、噛むととんでもなく皮が固い。その周りの肉もゴムのように弾力があって噛み切れない。こりゃ無理だとあきらめてタレをごはんにかけて食べた。鰻は旨いもんじゃないと思い知らされた。テレビや漫画本では美味そうなのだが。その後、社会人になって蒸したせいろ鰻を初めて食べた時には驚いた。身が口中でとろけるではないか。「これは鰻の蒲焼ではない」と腹が立った。

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