むかしばなし

ケンケンのむかしばなし2 夏の夜は恐ろしい

夏の夜は恐ろしい

夏の話しの続き。山下に降りるのは細い道だが一歩ふらつけば崖下に落ちる。そもそも日が暮れて子供は外で遊ばない。人さらいがくる、お化けが出る、と脅かされて育った。それでも姉や兄は夏になると花火だ、祭りだ、蛍狩りなどに出かけて行く。一緒に行こうとするといつも母から止められた。幼稚園の頃はようやく兄達について夜も坂の下に行って花火やら蛍狩りをしても良いことになったが、母が「長靴を履いて行け」という。兄は聞こえぬふりをしてさっさと出かける。「なんでこの暑いのに、雨も降らんのに」とはぶてると「下の小川にはハミ(マムシ)がおる。ヘビも夏は暑いから水の近くにおるから草履じゃかまれるど」。私はいやいやながら浴衣姿にゴム靴を履いて、山を下りたものだ。そうまでしてもさして楽しいわけでもない。ただ夜の山下を探検したいだけだった。

幼い頃の私にとって古い和風の家は広過ぎた。それは遊ぶには好都合で、雨が降っても家のなかでかくれんぼも鬼ごっこもできた。しかし縁側に雨戸はあってもガラス窓がなかった。夏は開け放しである。屋内は障子ガラスのみ、暑ければそれすらも明け放しで寝たものだ。山の中だから虫がくる。幸いすでに蚊取線香があったのでいくつも焚いていた。夕方と寝る前はフマキラーという殺虫剤を大量に噴霧した。祖父の部屋には蚊帳があった。窓は開け放しても虫が入らない蚊帳の中は快適だった。それが目的で私はよく祖父の蚊帳の中で遊んでは怒られた。蚊帳を吊る、という作業は子供には大変だった。けっこう重いし、柱の高い位置に懸けることができない。蚊帳も高価なものであることは大きくなってから知った。どおりで一家にひとつしかなかったのだなと納得した。

夏の夕食は大変な騒ぎだった、子供にとっては戦場だ。ごはんは朝晩、竃で炊いていた。毎度、おこげがうまいのでそれが楽しみだった。夕食時、窓はすべて開けてある、蛍光灯は煌々とついているので段々虫が集まる。網戸などという洒落たものはない時代だ。ごはんを食べていると蚊取線香によって蚊や蛾がごはんに落ちてくる。泣けてくるが、それをよけながらごはんを食べた。腹が減っているから仕方がない。「早く食べないほうが悪い」と父母に言われる。そのうち灯りにガチャンと当たるものがある。トンボだったりセミだったり。カナブンだとボトリと卓袱台に落ちてきてびっくりする。飯どころではない。時にはもっと大きいものがドタッと落ちてくる。見るとカブト虫のメスだ。ドキドキしながらの夏の夕食。祖父と父は慣れたもの、平気で酒を飲んでいる。うちでは食事中に会話はない。食事中のおしゃべりは「はしたない」という風習であった。子供も黙ってさっさと食べたフリをして、あとからおこげのおにぎりを母からもらって空腹を満たしていた。窓に網戸が入ったのは10歳のころだったか、実に画期的だった。それからは夏の夕食がおだやかな時間になった。

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