北海道鉄道漫遊記

北海道蒸気機関車撮影旅行 1975年3月23日~4月4日

室蘭本線①

昭和50年3月25日、初めて室蘭本線栗丘駅に降り立った。蒸気機関車の聖地、上りに下りの貨物に客車のほとんど、蒸気機関車がけん引する。しかも、1時間に2本も3本も列車がやってくる大動脈路線。早速、駅外れに三脚を構えて下りの客車(客227レ)を待った。先頭はシゴナナだった。汽笛一声で発車。ナンバーは135番、幸先の良い発車シーンが撮れた。次は栗山側に移動して複線がトンネルに向けて別れるところで陣取った。ここは定番のお立ち台、鉄道雑誌で見慣れた風景を実際に見ることが出来て感激した。積雪の深し、西風が強い中、石炭満載のセキ列車がやってきた(貨5290レ)。デゴイチ855番がゆっくりと坂道を登ってくる。ここでは10人くらいの鉄ファンがいた。一人旅の私にとって人が多いのは心強かった。次はナメクジ型の4番がやってきた(臨貨9173レ)。これも会たかったカマだ。この後もデゴイチ貨物を2本撮って夕暮れとなった。この日最後はデゴイチ219番、西風に爆煙が大きく流れ、夕日にギラリ、印象的なシーンが撮れた(貨2260レ)。この後1週間ほど道内を巡って国鉄時代、最後となる蒸気機関車の活躍を撮影した。

栗丘駅発車(客227レ)
セキ牽引のデゴイチ(貨5290レ)
デゴイチ4番のナメクジ登場(臨貨9173レ)
夕日と西風に煙が龍のごとし(貨2260レ)

名寄本線

3月25日夜は旭川駅前の旅館に泊まった。中学生が一人で夜にやってきても「蒸気機関車を撮りに来ました。」と言えば泊めてもらえた。明けて26日は5時に起きて名寄駅へ。駅ホームから名寄機関区が見えたが、すぐに名寄本線に乗って天北峠越へ。上興部(かみおこっぺ)駅で降りて蒸気機関車貨物列車を2本撮る予定だった。この日は道内で旅行した中で唯一の晴天だった。まずは峠を降りてきた96型(49600貨1691レ)を撮った。次は96型重連だ、と思って待っていると先頭にDE10が付いていた。せめて上興部駅や給水設備のある構内を撮っておけばよかった。がっかりして下川駅へ移動。郊外で96型+DD51重連を横から撮った。下川駅に戻って発車(39628貨1693レ)を撮影、これは良い煙を吐いてくれたので満足した。下川駅から名寄本線で北見に向かった。

峠を下ってきた96型貨物(貨1691レ)
下川駅発車(貨1693レ)

石北本線①

北見の旅館には愛想のよい黒猫がいた。夜は私の部屋にも遊びに来てくれたので嬉しかった。風呂に入っていると汽車キチ仲間が「明日は国鉄のストライキだな、列車は運休かもな」と言っていた。それを聞いていたので27日朝、旅館を出たのが遅くなった。それでも北見駅、北見機関区でデゴイチ(1008番)、シゴハチ(418番、395番)あたりを撮っていた。すると若い駅員さんから「常紋に行かないのか?行った方がいいよ」とアドバイスされた。一人で行くにはやや不安だったが「大丈夫、行けば鉄道ファンがいっぱいだから」と背中を押してくれた。これには感謝しかない。

北見機関区のデゴイチ
北見駅発車のシゴハチ(貨575レ)

憧れの常紋信号所へ行くために旭川行列車に乗った。途中駅の留辺蕊(るべしべ:難読駅名で有名)でデゴイチ943番(貨4581レ)と交換。やがて常紋信号所に到着、本来客扱いが無いのでホームなんてない。しかし降りてみれば汽車キチがうじゃうじゃいた。上り貨物列車まで時間があるのでやや金華側に歩いて雪の斜面で陣取った。北見駅で買った帆立弁当が旨かったのを覚えている。この頃は少し晴れ間も出ていた。やがて遠くからドラフト音が山々に響いてきた。デゴイチ1008番がやってきた(貨2594レ)。なんだ白煙か、と見ていると貨物は短い、その上赤い物が見えた。DE10が後押ししていたせいかよけいに軽快に坂道を登って行った。迫力には欠けた一本だった。

留辺蕊駅での列車交換(貨4581レ)
常紋信号所-金華(貨2594レ)

やや意気消沈して信号所近くの土手斜面で2本目を待った。ここには100人はいただろうか。グループがいくつかあって笑い声が飛び交っていて和やかな雰囲気だった。寒いけど怖い思いはしなかった。来て良かった。やがて深山幽谷の常紋峠と言われる信号所付近、重々しいデゴイチのドラフト音が響いてきた。今度は爆煙が立ち上がった。貨物も長い、実にゆっくりな速度。おかげでフィルムの消費は後悔するくらい。それだけ大迫力だった(D51150貨1592レ)。この列車にはDLの後押しが無かったからよけいにデゴイチも苦しかったのだろう。ドッ、ドッ、ドッ、とデゴイチが手前まで登ってきて、やがてスイッチバックに入って汽笛が鳴る。見ている大勢のファンもため息が出るシーンだった。

来たぞデゴイチ、これが見たかった(貨1592レ)
やがて眼前までやってくるデゴイチ

次の下り列車を撮るにはトンネルの向こう、生田原側に行かなくてはならない。蒸気機関車の撮影情報誌では「常紋トンネル内を歩く」なんて書いてあったので躊躇していたが、数人が雪山を歩いて超えて行くではないか。雪が無ければ原生林の中を歩くのは困難だけど雪が踏み固めてあったので以外に登りやすかった。山越えした汽車キチは少なかったけれど、まずはデゴイチ444番が客車を引いてやってきた(客1529レ)。貨物より軽いのだろうか白煙を高々とあげて快速だった。444番は鉄道雑誌で見ていたのでお目当てのカマの一つだった。次の貨物はデゴイチ311番(貨577レ)、これにはDLの後押しがついていた。上り下り合計4本撮って常紋越えのデゴイチの雄姿を見て、私は大いに満足した。

また山越えして常紋信号所に戻ったが下り坂はお尻に肥料袋のビニルを敷いて一気に滑り降りた、これは痛快だった。そこで知り合った東京の高校生と一緒に北見駅に戻り、さらに女満別に向かった。北見駅から乗ったのはシゴハチ33番の客車(客1521レ)。これは変形デフにJNRマークを付けた有名なカマだ。会えて感激した。さらに駅ホームでは新婚さんを見送る一団がいた。ラジカセで「花嫁」の歌を流して、バンザイが聞こえて…やがて汽笛一声。まるで映画シーンのようだった。これには泣けた。

このカマにも会いたかった(客1521レ)

石北本線②

女満別駅に着いたのは夜遅くなった。それでも駅前から外れた旅館に泊まることできた。高校生の先輩と同室だったが疲れてすぐに寝たように思う。明ければ3月28日である。まだ暗いうちに起きて女満別駅を発車するシゴハチ119番を撮影した(客522レ)。そして常紋峠が1番のハイライトなら2番は急行大雪3号くずれの客車(客1527レ)だ。シゴハチ98番がけん引する11両編成は爆煙を吐いて女満別駅を発車した。迫力満点の発車シーンに満足したが…実は昨夜から今朝にかけてろくに食事をしていなくて「腹が減ってふらふらだった」と当時のメモにある。

女満別駅を発車するシゴハチ(客522レ)
急行編成の堂々11両(客1527レ)

湧網線

女満別の興奮冷めやらぬうちに次は湧網線だ、ということで網走駅に向かった。駅でゆっくりする間もなく高校生の先輩とタクシーをチャーターして96型貨物(49666貨1990レ)を追っ駆けた。運転手も慣れたもので並走したり、追い抜いたりして何か所かのポイントで撮影させてくれた。私は常呂まで、先輩は計呂地まで行く、ということで別れた。「また栗丘(室蘭本線の名所)で会おう」と言われ握手したが、私が1日ずれたせいか再会できなかった。名前も聞かずのままであったのは悔やまれる。

湧網線サロマ湖付近
湧網線の沿線を行く96型 

宗谷本線

3月29日の夜、札幌発の急行「利尻」に乗って稚内に向かった。夜行急行だから朝には南稚内に着いた。3月30日の朝、タクシーで抜海側の撮影ポイントである崖下に行った。この日は一日曇って強風が吹き荒れていた。丘に上がれば日本海はすぐそばだし晴れれば利尻富士も見られる名所なのだがそれどころではなかった。すぐにブリザードの中を96型が峠を登ってきた(ナンバー不明 貨1396レ)。空転するくらいのゆっくりした速度だったがろくな写真にならなかった。仕方なく線路際を歩いて南稚内側に歩いた。この時も氷の粉が容赦なく顔に吹き付けて痛い寒さだった。幸いに保線小屋があったので入ってみると汽車キチが3名くらいいて暖をとっていた。小さなストーブに落ちていた石炭を拾ってきて燃やしていた。当時は線路に蒸気機関車の石炭がよく落ちていたものだ。

抜海の峠、貨物がちょうどやって来た(貨1396レ)

あったまったので元気になった。再びブリザードの中、沿線の丘に登って96型貨物列車を待った。ドラフト音も高らかにやって来たはずだが強風にかき消されて無声映画のように黒煙を吐いた列車が通り過ぎてゆく(39655 貨1391レ)。もう1本、貨物列車を撮って(29613 貨4381レ)南稚内駅まで歩いて戻った。稚内機関区に寄ったが扇形車庫は扉が閉めてあって蒸気機関車の撮影はできなかった。この日は一日中天候不良で撮影結果は不調だったが思い出の稚内となった。夕食に稚内駅前で味噌ラーメンを食べた。道内で初めて食べたが意外に白味噌風だった。インスタントの袋ラーメンしか味噌ラーメンは食べたことがなかったので「本場はこれか」と驚いたのを覚えている。

南稚内―抜海 96型(貨4381レ)
1975年3月の稚内機関区

室蘭本線②

3月30日夜に稚内を出発、また夜行列車で岩見沢に向かった。3月31日再び室蘭本線の栗丘駅で降りた。5日前と比べて雪は解けているしベタ雪も降ってかえって寒い思いをした。あまりのボタ雪で望遠レンズの写真の多くは失敗だった。午前中の1本目はデゴイチ客車(ナンバー不明 客220レ)。2本目はデゴイチ333番(客221レ)。客車がもはや貴重だったので次のシゴナナ2本を楽しみしていたがボタ雪がひどくなってどちらもナンバー不明で残念だった(客224レ、客223レ)。

天候不良を恨みながら栗丘駅に戻ってデゴイチ客車に乗って岩見沢駅に戻った(827番 客225レ)。蒸気機関車牽引の客車は石北本線でのシゴハチとこのデゴイチで2回だった。乗るよりも撮るのに忙しいというわけだ。

ボタ雪の中、シゴナナの客車(客223レ) 
前回も会ったデゴイチ855番(貨4482レ) 
栗丘駅からデゴイチ客車の乗って岩見沢駅へ 

幌内線

3月31日の午後は三笠駅に向かった。幌内炭鉱線では96型がピストン輸送しているので撮影本数は稼げるはすだった。まずは三笠駅ではナメクジ型デゴイチが待っていた。発車シーンを撮ったが、なんだか迫力不足。ドレンも切らないし力強いブラストもなし、そろそろと出発して行ったので不思議な印象が残っている(59番 貨5682レ)。その後、炭鉱線を歩いて炭鉱(ヤマ)から降りてくる96型を撮影した。ナンバーは29622番。これが行ったり来たりするので沿線をずっと登って行ったがろくなポイントがなく、とうとう幌内駅に着いてしまった。やむなく駅に進入するセキ牽引の96型を撮ったり、入替作業、手押し転車台の様子を撮ったりで過ごした。三笠駅への戻りは機関士さんの好意で96型の運転室に乗せてもらった。初めて蒸気機関車添乗となったが、運転室内の轟音と振動にはあらためて驚いた。熱さと寒さ、実に過酷な職場なのだ。その時の記念写真は後日、お礼の手紙と一緒に岩見沢機関区へ送っておいた。

三笠駅のデゴイチ(貨5682レ) 
幌内駅付近の96型

夕張線

そろそろ道内旅行も後半、私も疲労困憊だったのではないか。寒さと空腹、寝不足、重い機材を持っての移動。いくら若いとはいえ列車内に連泊していたせいもあるだろう、ともかくも夕方、三笠駅を出て岩見沢経由で夕張へ向かった。室蘭本線は追分駅で夕張線に分岐するが乗った列車は直通だったのだろうか、乗り換えた記憶がない。うとうとしていたつもりが熟睡していたのだ。気が付くと夕張線の沼の沢駅まで来ていた。すでに夜は20時頃だった。沼ノ沢駅で降りて旅館を探すが無い。近くの八百屋で尋ねると「隣の清水沢駅まで行かないと旅館はない」と聞いてがっくり。列車はまだあるから行こうとしたら「SLファンか、うちに泊まっていけ」と八百屋の親父さんに言われて、お言葉に甘えることにした。店の片づけを手伝って、その夜は腹いっぱい食べさせてもらった。3日ぶりに風呂に入り、ふとんで寝ることができた。駅近くだから夕張線のデゴイチの汽笛やブラスト音が子守歌になった。

明ければ4月1日。朝はデゴイチ重連を撮るからと八百屋のおかみさんに5時ごろ起こしてもらった。教えてもらった近くのオーバークロス、キンと冷えた空気の中で待っていたら来た来た、白煙を高々と上げたデゴイチ重連!なんとか撮ったけれど正面からだから重連どうかかわからない。朝もやの中、望遠レンズなのでナンバーも不明(貨6793レ)なのは惜しかった。午前中は清水沢側に歩いて夕張川鉄橋へ。これも下り貨物列車は遠景なのでナンバー不明(貨1791)。本来なら昼のデゴイチ重連が目的だったのにやってこず。おかしいなと思いながら沼ノ沢駅に戻った。(後から判明したことは4月1日からダイヤ改正だったのだ。どおりで時間通りに列車が来ない)仕方なく沼ノ沢の駅周辺でデゴイチ、真谷地炭鉱線の96型を撮影した。午後はセキ列車を撮るために紅葉山側に歩いてようやくS字カーブを発見。デゴイチ465番が爆煙で坂道を駆けあがってきた(貨1792レ)。これがまともなデゴイチ写真の最後となった。沼ノ沢の八百屋さん夫婦にお礼を言ってお別れした。これが旅の思い出だろう、感謝しかない。

朝のデゴイチ重連貨物(貨6793レ) 
夕張川鉄橋のデゴイチ(貨1791レ) 
S字カーブのデゴイチ(貨1792レ)

北海道の蒸気機関車撮影は正味8日間だったろうか、泊まった旅館は3泊、+八百屋さんに1泊。あとは夜行急行に3泊、ということになろうか。心配していた初めての渡道、雪中撮影、さらに14歳の一人旅。いくつか失敗もあったがとにかくも、無事に帰宅できたこと、撮影成果もまずまずだったと思う。やがて中学3年生になった私はしばらく、資料整理に追われていたようだ。かれこれ47年前の話しである。
(記事執筆:2022年4月18日)

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