むかしばなし

読書に親しむ始まり

物心がついた時から家に本が沢山あった。親から勉強しなさい、本を読みなさい、と言われても読書する子供は少なかろうと思う。我が家では、漫画本も含めて読書には寛容であった。小学校に上がれば宿題が出るが初めこそ母が手伝ったと思うが早々に一人で済ますようになった。母は家族の中で一番多忙だった。勉強をやっておれば親からとやかくは言われなかった。農家なのにそれを手伝えと強く言われたこともない。さすがに秋の稲こぎは手伝った。本は例えば世界文学全集が2種類、百科事典も3種類あった。教育熱心と言えばその通りだがそれだけ本を売る営業が私の生まれた田舎にもやってきたことに感心する。またそれを買ってしまう両親も「子供の教育のため」ということで大枚をはたいたかと思うと感謝しかない。大丈夫、姉はきっと全部読んだことだろうから無駄にはなっていない。私も名作文学全集は殆ど小学生低学年の頃に読んだので元はとったと思う。しかしながら挿絵のない童話は魅力が少なかった。読めない漢字には大いに苦戦しただろう。幸いに百科事典にも早くから親しんだのでのちに国語辞典、英和辞典の利用には抵抗がなかった。読書とは違うのだろうが百科事典のアイウエオ順の内容は読むよりも見る、文字に慣れることに効果があったのではないか。それにしても百科事典は一冊一冊が重かった。

そんな教育方針だから本に親はお金を惜しまなかった。漫画を買う、というと渋い顔をするので小学館本や参考書、辞書を買うと言えば許された。小学1年生という月刊誌は毎月定期購読していたので町から配達してもらっていた。兄や姉にもそれぞれの学年誌が来ていた。その図書費も馬鹿にならない。当時の月刊誌は付録が段々豪華になってきたのでこれが楽しみだった。立体的な紙模型では東京タワーがあった。これはかなりの高さだったので出来上がったら感動した。教育イコール読書、本が大切、本を読ませたい、という両親の気持ちは今更ながら忘れず次世代に繋ぎたいと思う。さらに言えば、あれを読め、これを読め、と強制しないことも大切なのかもしれない。

夏休みや冬休みには読書感想文という宿題があった。指定図書だったか推薦図書だったか、それを買って読めばなるほど面白かった。だから感想文はさらさら書けた。国語の授業でも教科書にある物語について感想文を書く授業があった。400字詰め原稿用紙2枚程度だからさっさと感じたことを書いて提出すればよい。読んだら感想はいくらでも湧いてくる。それをいつまでも書けない級友がいることがわからなかった。小学校4年生頃の話だが、この頃から私の読書に好みが出てきた。歴史もの、特に太平洋戦争ものであった。なぜ惹かれたかはわからないが兄の影響もある。ゼロ戦、戦艦大和の漫画や読み物は兄が仕入れてきた。それに感化されたのは兄よりも私の方だった。中学生になる前までにほとんどの太平洋戦争の戦跡を読んで理解していた。こんな小学生はあまりいない。

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