くすり屋さん

くすり屋さん ヨコハマ時代番外編 ヨコハマのうまいもん②

くすり屋さん こぼれ話

面食いならぬ麺喰いを自覚したのが横浜時代であった。学生時代は袋ラーメンがあれば不満はなかった。大学生となって蕎麦屋でアルバイトして蕎麦とうどんの旨さを知った。入社してから東京の醤油ラーメンの旨さを知った。高松に赴任して讃岐うどんと出会い、その奥深さを味わった。そして、ヨコハマ。92年当時、ようやく横浜ラーメン、豚骨醬油ラーメンが流行り始めた頃だった。関東は蕎麦の本場でもある。横浜でも信州そば、会津、山形のそばも出店が多かった。自分の麺好きにあらためて気づいたのであった。

まず麺喰いのトップバッターはラーメンだ。今でこそ横浜家系というが92年頃はY家(現在は西区南幸町に移転、家系の総本山と言われている)は新杉田あたりの産業道路沿いにあった。トラックやタクシーの運ちゃん相手に朝早くから営業していたという。駐車場は無いから路駐となる。スープがなくなれば閉店だから15時くらいまでに行かなきゃ、と焦ったこともある。私は西日本、九州のラーメンに慣れていたので当然豚骨ラーメン派。袋ラーメンはチャルメラ、出前一丁と醤油味だったが外食は殆ど豚骨味。しかし四国時代、高松に旨いラーメン屋は無かった。高知でも私の好み合わない半端な醤油味だったという印象。

横浜家系ラーメンはどうか?まず麺が太いのにびっくり。「こりゃちゃんぽん麺タイ」と博多っ子なら言うだろう。スープの豚骨醤油味は初体験だったが抵抗はなかった。Y家はやや醤油が強いか。今の私は油少なめを注文している。今でも横浜に行けば横浜家系ラーメンを食べるがY家直系を選びたい。新杉田のS家は間違いない。他も若干違う系統だが大将ラーメン、まんざいラーメン、笑苑ラーメンなど通ったものだ。豚骨醤油でも豚骨が濃かったり麺の細めやちぢれ麺もあったりで色々と違いが楽しめる。横浜家系と標榜しつつ味噌味やつけ麺があるのは直系ではない。

次の麺喰い、蕎麦はどうか?横浜だけに信州そば、つまり更科蕎麦系が多かった。うどんと一緒にざるに乗せる相盛りも好みであった。東京の蕎麦つゆほど濃くはないのでつゆに蕎麦をジャブジャブつけて食べていた。こんな真似は江戸蕎麦の有名店ではできない、濃いよりむしろ辛い。大船駅近くの小山にK井という高級蕎麦屋があった。ここは接待で会食して最後に少しの蕎麦が出る。ここの山の斜面にあるいくつかの別館、離れでの宴会は楽しかった。時間と空間の贅沢、自前の焼き物の器で料理が出てくるのも良かった。困ったのはうどん屋である。蕎麦つゆでうどんは食べたくないのだが相鉄線横浜駅の星のうどんは合格だった。高松出身のT先生も太鼓判だったので嬉しかった。

さて最後、横浜と言えば中華街。90年代の横浜営業所では忘年会、歓迎会、送別会など大勢の宴会は中華街に行った。20人以上の大宴会で後半の料理は余るほどだった。初めは大通りの広東料理の有名店をいくつか使っていた。そのうち、業界同士の情報交換により四川料理の有名店Kに通うようになった。若い社員が多いから辛い、濃い味がウケたのだろう。馴染みになると特別料理が出るようになって驚いたり感謝したりの中華街だった。

通った横浜ラーメンベスト3

横浜家系ラーメン本家
浦舟のラーメンショップ
釜利谷のキムチラーメン

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