むかしばなし

芸術の才能とは?

芸術とは何か?まず思い浮かべるのは絵画や音楽か。私は幼稚園の頃から絵画教室に姉、兄の3人で通った。3年間くらい月に1回程度だったと思うが確実に絵は上手くなった。小学校に入ると描く絵はすべて入賞だった。見たままを書く、写生画は何の苦労もなくさっさと下書きして水彩画を仕上げて授業時間内に提出した。周りからみれば驚くことだったようだ。それでもそんな芸当ができるのは私だけではなかった。クラスに数人は上手い児童がいた。一方で未完成のままの児童はそのまま出すか、宿題になったようだ。小学校時代は絵を書けば入選ばかりだったが、やがて基本を外れてきたせいか中学校になると美術教師からの評価は悪かった。美術教師の好み次第なのだと教師のせいにしたが、そうなるとやる気は落ちる。中学から高校まで私は絵画の熱は冷めて漫画やいたずら書きばかりしていた。私の美術的才能はここで終わった。その後は時々はイラスト、似顔絵の才能が認められるが私にすれば大したことではない。

音楽はどうか?幼稚園でのピアノ教室はすぐにやめた。小学1年の秋、合唱発表会があった。なんと指揮者はいきなり私になった。何の基準で決めるのだろうか?指揮者がどんなもんかわからないのに私も両親も困ったものであった。当たり前のように担任教師は、説明もなく練習に入ったので出来はさっぱりだった。ようやく指導してもらって無事に指揮をとった。音楽とのご縁はこのあたりからかもしれない。小学3年生になると学芸会で学年全体の音楽発表をすることがあった。アコーディオン、木琴、打楽器などはステージ上で、その他大勢はリコーダーでステージ下に並ぶ。私は中太鼓、トライアングルの役をさせられた。学年全部で2人枠、相手はクラスが違うNだった。練習で初めて言葉を交わしたがおとなしい秀才タイプだった。ステージの上で「宇宙少年ソラン」他の曲を演奏して気持ち良かった。

太鼓にご縁があったので5年生の時は鼓笛隊の小太鼓隊に入った。私が希望することは珍しい。運動会で必ず午後の開始後にパレードがった。その先頭部隊が鼓笛隊、その他大勢のリコーダー隊は後に続く。5年6年の約300名の演奏隊が運動場を行進するのだから勇ましいものだった。憧れの鼓笛隊の一員となって私は嬉しかった。母校だけでなく遠征することもあった。隣町の小学校ではトランペット部隊がいた。くやしいほどにこれもカッコよかった。時には近所の公園の開園式、新しい橋の完成式典でも鼓笛隊は出動した。どれも晴れがましい気分で参加した。6年生の時は学年全体で音楽発表があった。「ボギー大佐」という曲で私は誰も手を上げないのでシンバル役を買ってでた。一人のシンバルはかなり目立つ。指揮者はI先生だったがコーチ役のK先生からすぐに私はシンバルの個人指導を受けた。しっかり強弱をつけて叩け、思い切りよく叩け、という指示だった。K年生の指導は1回だけだったが、シンバル役は目立つこと、メリハリをつけることだった。これは、私のその後の人生への訓示にもなった。実力を発揮しきれない私への叱咤激励だったのか…。

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