くすり屋さん

くすり屋さん 四国奮闘編 第6章 くすり屋は一生の仕事か

くすり屋さん 四国奮闘編

くすり屋を続けていけるか?

「石の上にも3年」という言葉がある。ご縁あって入った会社だから3年は頑張ろうと思っていた。幸い入社以来、新薬はあるし四国の先輩上司は大事に扱ってくれるし卸も得意先でも関係は良好であった。私生活も結婚と子宝にも恵まれて傍目には順調に見えたことだろう。しかしながら医薬品の営業というのは製品を扱わない、集金をしない、成績はこちらの意志に関わらず上がったり下がったりする。現物と現金を扱わないし、パンフレット、症例紹介などの資料や文献で医師、薬剤師に口先だけで自社品を宣伝することが仕事だ。これは私にはしばらく違和感があった。社内は売れれば「よくやった」と評価されるし、自分ではよく仕事をしたつもりでも売れない月は「何をさぼっていた」と責められる。手堅い計画数字を立てると「それでは売れない」と叱られる。私には商売っ気が足らない、相手と駆け引きも苦手だということがわかってきた。私はこの職業は続けていけるのだろうか?

今日の仕事はすぐに結果が出る、というものではない

Gリーダーから私の初対面の感想を聞くと「チャラチャラしているからすぐ辞めると思った」らしい。私が医薬業界とN社のカラーでは無いと感じたらしい。その割には辞めずに営業活動していたので?評価してもらったものだ。今日の仕事はすぐに結果が出る、というものではない。コツコツ営業した結果は3カ月後、半年後にわかると言われた。正にその通りで、私は入社30数年たっても若手にそう教えている。今、苦戦しているなら3カ月前、半年前の仕事を反省しろ、となる。さぼっていたのか、やり方が間違っていたかのどちらかだ。そこで気づいて改めればきっと3カ月後、半年後に成果は出てくるだろうと。

大阪、東京への出張も!多忙な日々

日々悩みながらも仕事は容赦なく私を追い込んだ。新薬の説明、採用、研究会の立ち上げ、講演会参加の案内、そのイベントの手伝い。四国内のイベントだけでなく大阪、東京への出張も3年目以降はますます多忙となった。営業の一環としてゴルフ、野球、宴会(得意先との会食と社内宴会)も加わるので今、思い出してもよくやっていたなと思う。そのうちに卸さんから信頼される言葉が増えてきた。医師、薬剤師、看護師、事務長との関係が良好なら卸さんも喜んでくれる。彼らも商売しやすくなるからだ。忘年会や花見では卸さんから「会費いらないから来てよ、先生が喜ぶから」とか、病院の事務長が「2次会一緒に行こう、予算あるから心配いらないよ」と言われるようになった。実にありがたいことであった。

一生の仕事に

入社3年が過ぎると「おたくの薬で肺がん患者の腫瘍が縮小したよ」「今回は効かなかったけど次はまた試してみよう」「副作用対策はどうしようか?」など医師からの問い合わせの内容が変わってきた。益々くすり屋として責任ある対応をしていく必要に迫られた。これは医薬、薬学を学ばねばいけない、医薬品の営業は世のため人のため、家族のためにも本腰を入れなくてはいけないと思った。必要に迫られての学習はよく身に付くものである。業界の研修制度に参加し試験に順調に合格して認定証をもらった。生活のためならよく勉強もするものだ。本気で医薬品の営業をしよう、これからもこの業界で生きていこう、と思った頃に異動の内示があった。高松での仕事は4年ちょっとで終わった。

松山空港
高松では新空港が完成した
JR四国の松山駅、古き良き駅舎である

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