くすり屋さん

くすり屋さん ヨコハマ時代後半⑩ メンバーの異動、そして突然の別れ

メンバーの異動、そして突然の別れ

始めがあれば終わりがある。横浜営業所は家賃を理由に新しい事務所に移った。新しいビルで新しい机や椅子となって嬉しかった。家賃が安くなった分、引越のどさくさに紛れて備品まで新調したようだ。気分よく仕事をしたかったが営業現場は売上あってこそ円満な事務所内の雰囲気である。営業成績が降下してくると上司は不機嫌、所員は直行直帰で事務所に寄らなくなる。会議は葬式のように静かになり所長が大声で怒鳴るという悪循環。

90年代の後半は世間も世紀末だと言って暗いムードだった。私は「ノストラダムスの大予言」関連の本は多数読んでいたが「ジタバタしても仕方ない、自然に人間の営みを続けるのみ」という心境になっていた。若手社員の有志とはよく花見、夏のビアパーティ、忘年会に新年会を繰り返した。営業所行事ではないので所長、支店長は呼ばない。いつも私が長老だった。まだ40歳前だったから2次会もカラオケにも付き合った。世間でいう係長という役職だったがやがて管理職の課長職になったが今まで通り、行動は変わらない。

横浜では所長は変わる、支店長も変わる、会社も変化が激しい。ますます個人の作業としてパソコン能力が問われたのもこの頃だ。エクセル、ワード、今でいうプレゼン資料の作成も誰が教えてくれるわけでもない。自己学習か、わかる若手社員に教えてもらうしかない。まだ手書きの日報だし、精算や売上計画、毎月の集計も手計算だったのも今は懐かしい。

私の横浜時代の最後の上司はK所長、この人にも私は影響を受けたことがいくつかある。体はでかいが腰は軽い。言動も不思議な視点で判断するので予想がつかない場合があった。「これは怒るだろう」という事例では丁寧に諭すし、「なんでもない報告」と思うと急に「そこへ座れ」と厳しく説教する場面があった。いつも私の背中で起きる事象なので聞き耳をたてていたものだ。

その事例として今も私は気を付けているが「ちょっと売上げが悪い」「少し未達に終わりました」の「ちょっと」「少し」の表現は不要であること、不適切であることをK所長から学んだ。例えば計画99パーセントなら少し未達だろう。90パーセントを切るようなら悪い、未達でした、とストレートに言って反省すべきだろう。少し困る、くらいなら無視してよい。好き、嫌い、良い、悪いなどのイエス、ノーは、特に会議などでははっきり表現しないといけない。誤った表現は判断を誤ったりチャンスを逃したりすることがあるからだ。

K所長とは横浜営業所の立て直しを話し合い協力も要請されて信頼関係を築きつつあった。無事に2000年ミレニアムを迎えて、まだ1~2年は横浜にいるな、と思っていたら急な異動の辞令があった。伝えるK所長の不本意な顔は今でも思い出す。新しい職場は営業担当を離れて札幌支店の学術スタッフだった。事前の相談は何もない。人から好かれることは同じ数の人から嫌われている、を思い出した。そういえば四国時代はおろか、学生時代もそんな事があった。人事異動に抗う人もいるが、そもそも本意な異動などはない。その晩は後輩のTと飲んだ酒はしょっぱかった。私は2000年6月1日付で札幌支店へ転勤した。

よく利用した京急電車シリーズ

京急横浜駅
京急の黄金町駅
京急の金沢文庫駅

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