くすり屋さん

くすり屋さん 四国奮闘編 第3章 くすり屋さんの生活

くすり屋さん 四国奮闘編

UDON県

高松市に住んでみると四国とか、香川県とか初めての土地とは面白いものだと思った。新人でも営業車が与えられ「遠出はいかんけど休日は買い物に使っていいよ」と言われて県内を走り回ったが、香川県の面積は全国最小なので遠出にならない。83年当時は瀬戸大橋もなく、高松空港が街中にあってプロペラ機のYS-11型が飛んでいた。大阪や東京への出張では飛行機に乗って行ったがかなり揺れて怖い思いもした。本土へ行くには高松築港から宇高連絡船で宇野へ通った。中四国というくくりで支店になったり合同会議が岡山で開催されたりで連絡船はよく利用した。デッキで讃岐うどんを食べながら瀬戸内の島々を眺めるのは贅沢な気分であった。映画「UDON」(2006年)でも「あの連絡船のうどんが美味かった」というセリフがあった。「その通り」と私も大きく頷いたほどだ。

城下町でもある高松市には玉藻城という海城があった。お濠に海水が入ってくるので淀みがなくキレイだった。天守閣はなかったが幕末の古写真が残っていてそれを見ると4層の最上階が出っ張っている南蛮づくりだった。小倉城も同様だが何やら頭でっかちに見える。現在も三層の櫓が2基残っており、特に月見櫓は高松港のシンボルとなっている。市内を南下すると栗林公園がある。これは見事な大名庭園であり広大である。なるほど観光客の一番人気なり、という場所だ。その小山に上って北東を見ると屋島が見える。まさに台地のように山頂が平な印象的な山容だ。ここは源平合戦で有名な屋島の戦いがあった場所。さらに左の北西にも同じような台地の山、五色台が見える。五色とは陰陽道に由来か、夕日を眺めると五色に変わるからか?良い地名だ。南は重畳たる山並み、四国山地がそびえる。

担当エリアを東奔西走

83年9月、くすり屋さんとして正式赴任となり、担当エリアは香川県の東側、つまり讃岐の東、東讃地区。それと小豆島、高松市内の一部であった。あとは香川医科大学が84年開業ということでGリーダーと一緒に各科を回ったり御用聞きのように届け物をしたりするというお手伝いもした。車で走るとわかるが、北は屋島を見つつ、南は四国山地と単調な景色である。これが西讃地区だと讃岐富士と呼ばれる飯盛山を代表としてポコポコと特徴的な山があり、飽きの来ない景色だろうと思った。小豆島へは営業車のままフェリーに乗って行く。これは楽しいものだが慣れると小1時間、船内で寝るばかりであった。高松港からは主に土庄港と池田港にはいる2航路があった。思ったより大きな島で当時、本島だけで2万人いた、というから大したもんだ。

上司、先輩方と一通り同行したのが約1か月。毎朝、卸さんに行ってセールス(今はMSと呼ぶ)さんと話してからいつもの喫茶店へ。H先輩は西部担当で、坂出市や丸亀市の卸さんに行くので喫茶店で遅れて合流することになる。私は高校時代から朝食はコーヒーか牛乳一杯で済ましていた。しかし喫茶店はコーヒー一杯とモーニングセット(トースト、ゆで卵付)が同じ値段であることからセットを注文するようになった。ここから朝食を摂る、そして新聞、週刊誌、週刊漫画を全部読む、という習慣が長く続くことになった。

85年小豆島の土庄港、毎月のように通った。
新しくなった琴平電鉄の高松築港駅舎
瀬戸大橋電車、橋は高知に転勤後に完成した

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