山陰本線デゴイチ物語

山陰本線デゴイチ物語11 黄波戸~仙崎

黄波戸(きわど)

黄色い波とは意味深な地名である。一つ前の古市駅との間に日置(へき)八幡宮があるが、そのご神体(応神天皇か?)が海に現れた際に黄色い波が立ち上がった、という伝説があるらしい。きわど、という言葉の音自体にも意味があるように思える。黄波戸には海水浴場があり遊んだこともある。近くには温泉もあって風光明媚であった。ただし山が迫っており黄波戸駅も単ホームの棒線のも。デゴイチの下り列車にとっては急勾配を登っていく難所である。ということはデゴイチの奮闘場所として格好の撮影ポイントになっていた。

黄波戸駅を古市駅側に向かうと旧カーブが続き一気に山間部に入る。25パーミルの急坂である。峠にはトンネルもある。その土手や向いの道路からが撮影ポイントになる。うまくいけば日本海も入れるカットが撮れる。デゴイチの走る終盤ごろには上りの長門二見と同じように黄波戸へも通ったものだが駅前、その周辺に何もないのでゆっくりした覚えがない。長門市の機関区を除いてから列車に乗って隣駅の黄波戸に着き、デゴイチの撮影後は下り列車に乗って特牛や長門二見、小串方面へさっさと移動した。

74年秋の下りデゴイチ貨物、日本海が見える
74年秋、黄波戸のトンネル

長門市(ながとし)

ながとし、と読むが都市名ではなく市場の意味らしい。元々は正明市(しょうみょういち)という駅名だったが昭和37年に変更になった。デゴイチの頃も年配者は正明市と言っていた。命名由来としては「長門の国、市場のある駅」ということか。

長門市駅は仙崎港への支線が出ており美祢線とも接続している駅である。美祢線はローカル線だが陰陽の連絡線ということでは現在も重要なローカル線である。厳しい経営状況だろうが、この路線は残るとか、大きな災害(大雨にによる場合が多い)があっても急いで復旧すると聞いている。安倍総理大臣の故郷であることも理由かもしれない。

蒸気機関車の定期運行、本州の最後は1974年末、路線は山陰本線だった。長門市機関区のデゴイチは浜田~下関間が主な担当区間であり、最終の長門市機関区所属のデゴイチは20両程度が活躍した。最後の1年、朝晩の客車1往復が残ったのでよく乗車したことは貴重な体験だった。車内放送、ジョイント音、汽笛と煙の匂いは忘れられない。

74年7月の朝、出区準備中の243番
74年9月、駅に到着した720番
74年10月デゴイチ同士の交換風景
74年7月転車台の715番

定期運行が終わった1974年12月に機関区を訪問した。ズラリとラウンドハウスに並ぶデゴイチは壮観だった。1月にサヨナラ運転をするデゴイチの2両のみバックを見せていたが火を落とした6両は前を向いていた。機関区職員の皆さんの配慮であったのだろう。早くも煙室扉に錆が出ていたカマもあったので泣けてきた。しかし今でもモノクロ写真を見ると盛んだった頃の様子に思えて心が騒ぐ。

74年12月末の扇形車庫
2009年8月の長門市運転区、まだ転車台あり

支線の仙崎について

美祢線が山陽本線の厚狭駅から出て長門市駅が終点だが厚狭から仙崎行の直通列車がある。昭和の頃は朝の仙崎から魚介類の入った銀色の大きな箱を持った行商のおばちゃん達が沢山乗り込んできたものだ。そのまま美祢線で厚狭へ行く、または山陰本線に乗り換えて下関方面へ行く、別名カンカン部隊とでも言っていたような。その車両はおばちゃん達の世間話でにぎやかだった、もちろん魚の匂いがきつかった。今ではそんな光景は見られないが観光地として仙崎は明るくなったように思う。漁港あり、青海島あり、金子みすゞ記念館ななどを歩いたり食事をしても楽しい街になった。

2020年3月に訪問した長門市駅
2013年大晦日の仙崎駅 みすゞ潮騒号

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