人丸(ひとまる)
沿線を行き来していたデゴイチの頃から気になる地名であった。社会人になって訪れてようやく合点がいった。やはり柿本人麻呂ゆかりの土地であった。証拠に人麻呂が寄った際の歌も残っているとか。人名がゆかりとなった駅名は日本では珍しい。
柿本人麻呂は石見(島根県西部)の人らしいが渡来系といわれる一族として芸能から歴史、
科学まで博識だったと聞く。特に最新技術をもつ鉄器製造や製鉄集団とも関わりがあったようで島根県、山口県で人丸神社が多い。神として祀ってあるとは大した人物である。鉄器は武器のイメージが強いが、それよりも最新の農機具で土地の開墾、伐採、その後の農耕に相当に威力を発揮した。それで収穫が上がって人口も増えた、たくわえや生活にゆとりもできる。つまりこの地域は早くから開けた土地ということになる。山河あり海ありという豊かな土地だったのだ。
長門古市(ながとふるいち)
ふるいち、というからには古くから市場があって栄えていたと想像がつく。本来は地域名の日置(へき)をつけて日置市(へきいち)と呼んでいたらしい。地図を見ても海は近い、長門市(旧正明市)まで近いという東西のつながりがあるし南下すれば山間地域との交流もあったことだろう。残念ながら江戸時代は南側にも街道ができて、新市もできた。よって日置は古市と呼ばれるようになったとか。山陰本線の線路は平野を東に走り、黄波戸の峠に向かう。
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