山陰本線デゴイチ物語

山陰本線デゴイチ物語4 吉見~梅ヶ峠

吉見(よしみ)

ここらもやはり神功皇后ゆかりの土地伝説が残っている。西暦200年ごろからの地名が山口県には多数残っていることにあらためて驚く。三韓征伐、新羅出兵のときに「良い眺めじゃ」とでも神功皇后が言われたとかで吉見となったという説、それも良いだろうと思う。

福江と吉見の間に小さな峠があるのでデゴイチは煙を吐いて登ってきた。

74年6月下り貨物がトンネルを抜けてきた
74年6月重たそうに走るDF50
74年6月吉見駅での列車交換
74年6月吉見駅通過の貨物列車

梅ヶ峠(うめがとうげ)

吉見と梅ヶ峠、黒井村と駅間を歩いたことがある。確かに吉見と黒井村の間は緩やかな坂道があって峠をなしていた。峠に梅の木が多かったから梅の峠、という地名はわかりすい。ここも当時から無人駅であったが駅のホームがカーブしていたのを覚えている。梅ヶ峠駅そのものがサミットなので上り下りのデゴイチは力行してやってきた。

74年6月吉見―黒井村間の田園地帯
73年11月梅ヶ峠―黒井村間下り客車
73年11月梅が峠―黒井村間上り客車

73年当時はまだ客車の多くをデゴイチが牽引していたので歩いていたら続々と列車がやってくるので撮影に忙しかった。ひとつ撮ってはあるいて場所を変えてパチリ。さて次は

と移動しながら迷っているとデゴイチがやってくる。ゆっくり三脚を構えて撮ることの方が珍しかった。当初は父親から借りたカメラ1台、標準レンズ1本の一眼レフ。やがて

モノクロ、カラー用で2台を使用し、レンズも時には望遠を使用した。増えた機材はすべて友人から借りたものであった。

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