山陰本線デゴイチ物語

山陰本線デゴイチ物語8 特牛~阿川

特牛(こっとい)

全国に難読駅名として有名だった、ということを知ったのはデゴイチの頃を終わってからだ。確かに初めて行ったときは「なんだ?」と思う駅名ではあったが、調べている暇はなかった。今では牝牛をコトイと言ったとか、コッテウシが訛ったとかと聞いているが定説はない。そもそも牛が地名になるほど昔は沢山いたのかどうか。海岸に行けば琴江という入り江があるという。それが訛った地名、の方が自然かと思うが特別な牛、という漢字が人を惑わせるのだ。誰でも「とくうし」と読みたくなる。

さて滝部駅からの線路は緩やかな登り勾配だが、特牛駅からの下り列車は25パーミルの急勾配である。通過する下り貨物列車は峠のあるトンネルまで力行する。駅の発車でいきなり急勾配となる下りの客車は迫力あるシーンを見せてくれた。カーブする築堤があるので撮影ポイントとして有名であった。インカーブ、アウトカーブと何度かデゴイチの活躍をカメラに収めた。最後の締めくくり、「サヨナラSL」の運転はどこで撮るか?往路の下りは特牛、返しは福江と決めたのは正解だったか。

73年12月特牛駅を発車する下り客車
73年12月残雪の特牛付近、下り貨物
74年9月朝の特牛駅発車シーン
75年1月「サヨナラSL」の爆煙

「サヨナラSL」は1975年1月12日であった、デゴイチは720番と612番の重連運転で長門市ー下関間を1往復した。2両のデゴイチは少し前まで山口線で活躍していたカマで長門区に転属してきたものだ。この頃のお別れ運転は生え抜きのカマ、あるいは永く所属していたカマを使用することが多かったが、カマの車検切れの問題でもあったのか、疑問に思う選択であった。最後まで活躍をした長門区の生え抜きのデゴイチは214番、243番、永くいた715番などがいたように思う。往路を特牛に選んだが、あまりの強風に煙が流れて2両目のデゴイチが見えなくなったり客車が見えなくなったりで不運であった。往路の人出としては特牛駅周辺が一番多かったと夜のニュースで聞いた。私は友人達とお立ち台に朝早くから行ったが、列車が来る頃は数百人いたかもしれない。

2012年12月変わらない木造駅舎
下りの滝部方面、登坂がわかる

近年の特牛駅付近、何も変わらない。45年前も静かな山間だった。漁港までは離れているので小高い駅のホームから海は見えない。線路沿いを滝部側に道路がある。そのまま45年前を思い出す風景であった。もう長い客車、長い貨物列車は走らない。2~3両の気動車がたまにやってくる。それが山陰だ、という日常になのかもしれない。

阿川(あがわ)

阿川駅から特牛駅までは下り列車は登り勾配が続く。高度を上げて山裾を登っていくのでデゴイチが走っていた頃は、山間にはドラフト音がずっと響く。小さな集落しかないが住人にとってはいつもの列車音として馴染んでいたことだろう。デゴイチが走らなくなった1974年の年末は急に静かになって、どういう感想を持たれたのだろうか。ああよかったとか、あるいはさみしいと思われたか。

74年11月晩秋の特牛―阿川間の下り貨物

特牛と阿川は本来なら土井ヶ浜、角島という観光名所の最寄り駅となるべきだがいずれも海から離れた山間駅なので歩いて行ける距離ではない。遺跡があったり神功皇后ゆかりの神社があったりで歴史名所が多い。角島は今は大橋でつながっており、ドライブコースとして全国区の有名観光地となった。そんな現代の流行りと山陰本線は無縁のように思える。そのまま昭和のタイムカプセルとなるのも良いか。

 

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