むかしばなし

ケンケンのむかしばなし17 宴会酒と腰巾着

宴会酒

盆正月に親戚一同が集まる、という行事は昭和でも令和でもあって欲しい。私の子供の頃、山の家では祖父母はいるが取り子(養子)取り嫁ということでそれぞれ父の実家、母の実家があった。山の家で一族が集合して盆正月の宴会は、無かった。その分、毎晩が小宴会であり子供の私は父のお酒をちょいとすすったものだ。子供のくせに「ビールの泡をちょうだい」と言って生意気盛りであった。日本酒は夏でも熱燗にする習慣でにおいが気になったがやはり少しすすっていた。その癖があるから親戚での大宴会でも父の膝にのってビールを少々、日本酒も少し舐めていた。周りの大人も寛容であった。「こりゃ父親に似て酒飲みになるのお」と言われても平気だった。おばさんたちの方が口うるさいのに困った。「子供のくせにええんかね」と。気が付けば父の兄弟、母の兄弟も酒飲みは少ない、その子供たち、私のいとこも酒飲みがいない。さみしいものだがやむをえない。私の兄弟は姉も兄も飲める口だ。

酒と言えば赤玉ポートワインの一升瓶があったのを思い出す。今は赤玉スイートワインとなったが同じものだろう。赤ワインで子供でも飲める甘いワインだった。これを隠れてちびりと飲む、こんな子供が私であった。祖父と街中へ出かけると永山酒造に行くことがあった。ここで祖父は長時間将棋を打つ。私はそこの御曹司と遊ぶ。すごい玩具がたくさんあったように思う。いたずらにおやつは酒粕を食べたこともある。濃厚でおいしかったからお土産に時々もらって帰った。祖父の将棋仲間にはお菓子問屋、ケーキ屋、玩具屋があった。それぞれおやつにありつけたものだ。家にいるよりは外にいて大人の中にいるとか、お金持ちの子供と遊ぶ方が楽しかったのだろう。

山に住んでいるのに祖父のおかげで一緒に自転車に乗って出かけて行く。腰巾着と言われて「何のことやら」と思っていた。父は私が小学校に上がる頃、バイクを買った。今の分類でいう小型自動二輪である。こうなるとバイクの後ろが楽しい。父が街中や北部の親戚方へ出かける時は後ろに乗って行った。夜はいつまでもお月さんが追っかけてくる。時々ある街灯も裸電球であった。バイクの影が伸びたり縮んだり。右に出たり左に出たりの影を不思議な気持ちで眺めていた。そのうちに眠くなる。寝ないように大きな声で小学校の校歌や唱歌を歌ったので父も笑っていたことだろう。

山の実家の宴会話に戻る。祖父は酒が好きだがあまり飲めない。すぐ赤くなって酒臭い息をまいてしまう。父は実父が酒が強く、いつ行っても朝酒、昼酒と日本酒の冷を飲んでいた。母の実父も行けば焼酎を飲んでいたのを思い出す。実に寡黙な人だった。酒飲みは私も似たが「だれも将棋好きがおらんのお」と父は嘆いていた。父の実父は庭師、大工、魚の捌きなど器用であったらしい。父は兄弟も多い、その子供も多い誰も継いでいないとこれまたぼやいていた。親の似て欲しいところは似ないものなのだ。似て欲しくない点はすぐに真似をする。

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