むかしばなし

ケンケンのむかしばなし19 山の暮らし、秋から冬へ

秋から冬へ

山の夏は蝉がうるさかった。お盆が過ぎるとツクツクホウシが鳴いて、田んぼが金色になる。秋の台風がいくつかやってくるがその後は涼しくなる。台風イッカ、さわやかな秋空、なんて聞くと台風一家とはどんな家か?家族かと思ったものだ。一家ではなく一過と知ったと時は納得した。子供の頃に秋が楽しいとか美しいなんて思ったことはない。世間では紅葉狩りなんて言っても何のことやら。ついでに言えば春の花見もしたことがない。月見は時に母がダンゴとススキをお供えして楽しんだこともあるが毎年ではなかった。収穫の秋だから米がとれると我が家は大人が喜んだ。自分で作って収穫して新米を食べる、こんな幸せはないだろう。子供にとっては大人がご機嫌であればよろしい。新米が旨いかどうかより、今日は肉があるか、が大事だった。

秋の収穫ではサツマイモを思い出す。冬の間も蒸かし芋にしたり味噌汁に入れたり、天麩羅と大活躍する。時にはもみ殻や落ち葉を焼く時に焼き芋にもした。旨いけどイモばかりでは飽きる。冬の間の大事な野菜は大根であった。これは以前も紹介したが、大根の葉っぱなどは意外においしかった。汁物、漬物には大根、切り干し大根もあるし大根尽くしの季節の始まり。栗を食べるのは面倒だがおやつにはよく食べた。虫が食っている栗も多かった。どんぐり、くぬぎは食べられないがコマにして遊んだ。椎の実は生でも甘いが炒るとさらに旨かった。グミの実も食べたがこれは渋みがある。さらに秋の味覚にはイチジクに柿。これらがすべて近くの山、庭で採れたので豊かな秋であったと思う。

寒くなると外にある風呂に入るのがおっくうになる。山の夜は下界より早く冷えるからだ。温まったら早く部屋に戻って布団に入りたい。思い出すと夏の扇風機は七歳の頃で、暑さ対策が遅かった。冬も暖房はずっとこたつ一つだった。灯油ストーブなんかは中学生以降だったろう。あとは火鉢、七輪で暖を取る。家の中が暖かいと思ったら大間違い。日本家屋は夏に涼しく、湿気に強いように作られている。つまりは風通しよく乾燥するように作られているのだから冬は寒いのは当たり前。寒くなれば毎晩、雨戸を閉めて寝る。これが子供には大変な重労働。重くて大きな雨戸を何枚も引き出さねば長い縁側を締め切ることはできない。縁側と広間の間は障子ガラスがあるのみ。他の窓も木枠だから隙間風だらけだった。夜のこたつは居間にしかない。当然ながら人気のない部屋は外気温とあまり変わらない。

雪が降るようになると戸の隙間から雪が吹き込む。その雪が朝に屋内に積もっていることもしばしばだ。外気温が零下なら部屋の中も零下なので結露は凍る。寒気厳しき夜は尿意をもよおしても便所に行きたくない。その後はおきまりパターン。冬は布団にもぐって寝ていた。顔を出していると顔が冷たくなるからだ。そんな冷える朝でも母は元気に起きて薪割り、炊飯して子供たちを起こしにくる。容赦なく雨戸をあけ窓も全開して寒気を入れてくるからたまらない。毎朝、布団をはがされて「はよ起きんかね~っ」と叩き起こされるのだ。

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