むかしばなし

ケンケンのむかしばなし11 夏の大水

夏の大水

昔、と言っても50年前だが梅雨にはよく雨が降った。田植えしたばかりの田んぼが大水(おおみず)に浸かるのを見るのは子供でも辛かった。秋口には台風も来て大雨が降り、やはり近くの小川が溢れるとせっかくの稲穂も倒れて湖のようになる。大水の後、コメ農家は稲刈り、稲こぎに苦労することになる。自然の恐ろしさを間近に見て育ったが、子供の私は無邪気に大水、大風を楽しんでいた気分もある。幼稚園、小学校が自動的に休みなるので何やら嬉しかった。山下の道はすべて水に浸かって歩くのが危険だからだ。大水が出た朝は山の上から下界が海のように光っているのが見えた。山下の一軒家は大水の度に床上浸水していたようだ。大きな川のそばにある旧家はみな石垣を組んでかさ上げした土地に家を建てていた。何軒かの納屋には小船が立て掛けてあった。いざという時、大水の際の避難や孤立した場合の交通手段に使う船であったと思う。

山中での雨はやはり恐ろしい。テレビやラジオで土砂崩れのニュースがあると「母ちゃんうちは大丈夫か」「うちは岩山じゃけ崩れんよ、安心しちょき」という会話をしたのを覚えている。家の南側の山は岩山には見えないが現在も崩れたことはない。父がやがて自家用車を買う頃、山下の崖を掘って駐車場を作ったが確かに岩だらけだった。坂道の右直角の狭い曲がり角を広げた時も赤土と岩だった。それをツルハシ一つで父が一人で掘り上げた、大したものだ。大雨が南側にたくさん降った日は山奥から滝のように水が流れてきたのを見たことがある。それは怖かった。普段は川ではない山道を雨水が滝になって流れ落ちてきた。近年は南側にバイパス道路が開通したので奥山は寸断されて滝のような水の流れを見ることはなくなった。

大雨による山下の小川の氾濫も大変なものだが駅近くの大正川、桜川もよく氾濫する川であった。それが自宅からよく見えたので「海になっちょる」と大人が口々に言うのを私も真似をした。田んぼも畠も泥水につかる。こんな時、祖父や父は「田んぼを見てくる」「川を見てくる」と言って山下へ出かけていく。父は地区の消防団員であったのでパトロールの役割があったかもしれない。現代でも大雨や台風の時に田んぼや川を見てくると言っては犠牲者が絶えない。農家は田んぼや畠が気になるものだ。川の様子が心配なのは無理もない。祖父は大雨の前に畦道の水路に網をかけていた。大水の後にしかけた場所にいくと葉っぱやゴミが沢山ひっかかっていたが多くの鯉や鮒もかかっていた。どこかで飼っていた錦鯉も入っていた。鮒は鶏の餌にするのか、祖父が庭で身を捌いて大鍋でグツグツ煮込んでいた。これがまた臭い。大水の後の我が家のいつもの風景だった。私は鮒を食べた覚えはない。ただ祖父の作業をそばで見ていた。そのうち犬も猫も寄って来て、おすそ分けをもらっていた。食べ始めるのは犬の方が早い。猫は熱くてすぐには食べられない。これが猫舌か。

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