むかしばなし

ケンケンのむかしばなし20 山の冬は万年雪

山の冬は万年雪

子供の頃は雪が多かった。海から一山越えるだけで積雪が違う。近年の日本は夏暑くて冬は雪が少ないと言われているが確かだろう。私の故郷の西日本、瀬戸内地方でも最近、雪は降らなくなった。降っても積もらない、たまに積もってもすぐに解ける。昭和40年代の冬、我が家のある山は寒くてよく雪が積もった。朝起きて庭も山も真っ白。下界が真っ白になるといつも感動していたものだ。キレイだなあ、と思ったらすぐにゴム長を履いて庭を駆けまわって最初の足跡をつけた。新雪は小麦粉のように白く舞って面白かった。山影の雪はいつまでも残るものだ。そこに何日かするとまた積雪があるのでよけいに雪が深くなる。当時、気温が低い状態は続くもので日蔭の雪が時には春まで残っていたこともある。部屋の中からいつも雪景色が見えるので「万年雪のようじゃ」という人がいた。屋根から落ちた雪も北側は解けないので積雪がある度に、屋根から落ちた雪は高くなっていく。固い雪だから凍ったらその上を歩くのは危険であった。

我が家の山下からお寺までの道は山影となっているのでここも雪が積もればいつまでも雪道となる。昼間は少しゆるくなるが朝晩はカチカチに固まる。まだ舗装されていない時代、車は少ないが自転車は多い。毎冬の雪道なので近所の大人も困ったことだろう。暖かくなるのを待つしかない。雪の日でも幼稚園へはスクールバスが送迎するので苦労は少ない。小学校までは遠いので低学年には冬の通学はつらいものだった。5年生までの小学校は木造であった。窓枠は木枠だったので朝の教室は寒かった。だから各教室には石炭ストーブがあった。新入生の時は6年生がストーブに石炭を入れてオガライトに火をつけて燃やしてくれた。煙突が天井までいって曲がり、窓まで伸びてT字形の排煙部分が外に出ていた。校舎の外を見れば沢山の煙突が出ており、朝は一斉にモクモクと煙が出たことだろう。残念ながら私は見たことはないが近所の大人や親たちはどんな思いで見ていたのだろうか。「子供たちは暖かそうだな」と安心したかもしれない。朝でも子供たちがそろえばすぐに暖かくなった。雪遊びをした後の濡れた手袋、時には靴下までストーブ周りの柵にかけて干していた。

吹雪の朝の登校は特につらい。飛行士のような耳当付の帽子はありがたかった。無いときは母がタオルを私の頭にまいて、ほっかむりさせて野球帽をのせた。これはカッコ悪い。「母ちゃん、これ嫌じゃ」「なに言うちょるかね」と叱られてシブシブ登校したが耳をタオルで覆っただけでも助かった。耳あてのない児童は耳を真っ赤にしていた。子供の頃はしもやけが多かったが手指だけでなく耳たぶにもできた。水洗いのせいか手にひび割れが出来る子もいた、これは痛かろう。木造校舎は当然、教室も廊下も板張りである。毎日みんなで雑巾がけをした。冬のバケツの水は冷たかった。家での雑巾がけはちょっとだが教室、廊下は広かった。机椅子を下げて掃除当番10数人が一斉に雑巾がけをするのは壮観であった。正にジャパニーズスタイル、世界でも類を見ない?雑巾がけ体験をした我々はこれを誇りに思おうではないか。

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