むかしばなし

ケンケンのむかしばなし4 山の夏は大変

山の夏は大変

夏の夜は寝苦しい、だから夏は嫌いだった。扇風機がうちに来たのは8歳の頃か。それまでは団扇しかない。夜に雨が降ろうものなら雨戸を閉めないといけない。これで家の中は蒸し風呂となる。大人も大変だろうが子供も暑いものは暑い。それでも夏の朝はくる。10歳頃までは我が家は竃でごはんを炊いていたので、早朝、母の薪割りの音で目が覚めた。毎日、朝夕ことであったが母は誰よりも早く起きて遅くに寝ていた、これは感謝しかない。私は怖い夢を毎晩のように見て、そのうえ虫刺されや汗で眠れない朝を迎える。子供でも朝は機嫌が悪いのだ。夏は夜明けからセミも鳴いている。アブラゼミが朝から晩まで泣きっぱなし、なんというエネルギーであろうか。小学校に入ると夏休みは朝のラジオ体操があった。山下に子供が集まりラジオ体操をする、これで一汗かく。「夏休みの宿題は朝の涼しいうちに」なんて指導されたが朝から暑いし、セミはうるさいし勉強する気にはならなかった。一本の木に10数匹のアブラゼミがとまってワンワン鳴いている光景を見たことがある。木の方も栄養を吸われて枯れるのではないかと心配したものだ。お盆の頃には夕方が涼しくなる。するとツクツクホウシが鳴き始める。山奥からはヒグラシが物哀しく鳴いている。「ああ、ようやく秋の気配か」と子供ながらも安堵したものだ。感心な事にツクツクホウシは一つの楽章がしっかりしているということ。初めは下手くそなのだが、それはきっと脱皮して間もないセミなのだろう。聞き入っていると段々うまくなる、「よしよし偉いぞ、その調子だ」と励ます気分だった。

夏の楽しみは水遊びだ。小さい頃は「たらい」で水遊びをした。田舎だから川もキレイだろうと思ったら大間違い。私の子供頃は既に小川はもちろん大きな川でも泳いではいけない。高度成長期というのは農薬や洗剤、生ごみ等の生活用水に加えて工場排水なども垂れ流しの時代だ。川は危険だ、ということで川は遊泳禁止。近くの瀬戸内海もとても泳げるものではなかった。父は「昔はよく川で泳いだ。海もキレイじゃったが」とぼやいていた。小学校のプールで初めて泳ぎを習う。夏休みは学校のプールで泳げたが児童が多い時代なので行く日が決まっていた。地域の親が交代で引率することになっていた。プールで遊んだあとは帰り道が大変だった。泳いだあとはよけいに暑く感じ、体も重かった。近くの小川ではメダカやザリガニ採りで遊んだ。網を持って小川に入ってジャブジャブ、小魚を採ることは楽しかった。

暑くても元気一杯に山や川で遊んで、虫にさされたり樹木にかぶれたり、アセモができたり。アセモには天花粉をパンパンかけて前進真っ白になる。日に焼けると特に背中は風呂に入ると痛い目にあった。「夏より冬の方がよいなあ」と思ったものだ。風呂は子供の頃は外にあった。風呂は生まれた時から五右衛門風呂だった。鉄の風呂釜を下から薪を焚く。浮いている板を踏んで入らないと底の鉄が熱い。毎晩焚くから薪が大量に必要だ。風呂焚きは一番風呂に入る祖父の役割であった。私が風呂焚き当番になったのは小学生になってからである。

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