くすり屋さん

くすり屋さん 四国奮闘編 第2章 高松で新人研修

くすり屋さん 四国奮闘編

地元出身の上司

香川地区の上司はGさん、まず言われたことは「電話をつけろ、金がなければ貸す。酒は飲めるようで良かった(Gさんはほぼ下戸)。麻雀はするか?スポーツはゴルフ、テニス、野球のどれかできるか?」であった。Gさんは麻雀とゴルフ大好き、野球もする、という営業マンだった。さらには薬学部の大卒だったが薬学士(国家試験である薬剤師ではない)だった、というのは後から知った。さらにすごいヘビースモーカーだった。

私は麻雀をしない、ゴルフはこれからしたい、野球とバレーボールなら出来ると答えた。「ではゴルフするなら古いセットがある、これをやるから練習しろ、先輩が教えてくれる。野球は病院チーム対製薬メーカーの連合軍があるからそれに出てくれ。バレーボールは卸さん(地元の医薬品卸会社)でチームがあるから入ったら?早く馴染めるぞ」と指示してくれた。Gさんは地元の徳島県(池田町)出身だったので四国話は面白く、役に立った。

事務所がない営業部門

営業部門とはいえ会社人になったのだ、事務所に行けば女性事務員がお茶を入れてくれるなんて想像していたがとんでもない。N社の83年当時は四国の出張所は徳島と松山の2か所のみで高松と高知は駐在扱い、事務所はない。どうするのか?それぞれの自宅に資料、サンプル、ノベルティを保管しておき会議は喫茶店かホテルの会議室を使うのだ。なんということだ。売り上げの伝票を卸からもらってきてそれぞれの担当先の数字を拾って自分の台帳に記入していく。それでなんぼ売れた、なんぼ足らん、なんぼ増えたと一喜一憂する社員が4名。それを喫茶店の端っこでしているという光景は今でも忘れられない。

医療用の医薬品は製薬メーカーの直売は少なく、一旦は医薬品卸さん(ディーラー)に入れて各医療機関へ販売、配送してもらうことになる。製薬メーカーの営業担当はそのころ「プロパー」と呼ばれていた。プロパガンダ、広告宣伝活動、という意味らしい。だから毎朝まずは卸さんに行って発注状況を確認する、直近の医療機関への訪問結果を報告する、または卸さんと同行訪問する先の打ち合わせなど、することがヤマほどある。しかし卸さんにとっては私のような新人に用はない、中堅メーカーであるN社は卸さんでの優先順位は低い。それでも我が上司、先輩方はずけずけと社屋に入り込んで大手製薬メーカーと同等以上に卸さんの営業と話し込んでいる。これは大したもんだと思った。

個性豊かな?香川地区担当

遅ればせながら香川地区担当の紹介をしておく。総勢、私を入れて4人。残りの先輩2人、まずM氏は岡山出身。九州の理工系大学を出てプライドの高い30前半の先輩。この人に私は嫌われた。「お前みたいに偉そうにする奴は嫌いだ」と言われたが社内外で偉そうにしているにはあんたの方だろ、と思っていた。事実、感情の起伏が激しく社内外で衝突する困った人だったが、やがて私の能力に頼らざるを得ない時期がくる。「泥棒とプロパー、三日やったら忘れられない」と言ったのもこのM氏。もう一人の先輩は2つ上だが1年先輩のH氏。長身でおおざっぱに見えるがやがてパソコンマニアになる。私のことを「小姑みたいなやっちゃな」と言われたが、私はその頃から率直に意見を言う生意気な新人だった。

85年高松のお城は別名玉藻城
86年丸亀城の高石垣
徳島駅前の阿波踊り像

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