くすり屋さん

くすり屋さん 四国こぼれ話5 出会った人々(高松編)

くすり屋さん こぼれ話

高松で出会ったお医者さん、薬剤師さんほか

新入社員の担当先、中堅会社の私は香川県の半分のエリアを担当した。高松市内でも病院、開業医を沢山担当したが一日の行動範囲、1週間、1か月と訪問する軒数は限られるものだ。行きやすい、会いやすい、話しやすいところから訪問するのは新人としては許されるところだろう。しかしそんな得意先で営業成績が上がるほど簡単なものではない。行きやすい、会いやすいなんてヒマな証拠。会いやすい、話しやすいは他社、大手メーカーも同じこと。誰にでも愛想の良い医師、薬剤師では商売にならない。忙しくて会えない、会えても話を聞いてもらえないような得意先こそ重要だと知るのには2~3年の経験が必要だ。

それでも人のご縁、製品(くすり)のご縁で沢山の人に出会い、親切にしてもらった。まずは高松でのことを話してみたい。すぐ思い出すのは苦労した得意先から。高松市の東部にある病院でのこと。能面のようなA医師は難しいなと思ったけれども何回か会ううちにボソボソと薬の話になった。それを見ていた事務長は同情しながらも「あんたよく粘るね」と褒められて嬉しかった。他社も難攻していた医師と会話ができるようになっただけで周りから評価してもらった。やがてその病院の行事、忘年会や花見に個人的にも招待?されるようになった。そのA先生は宴席でも能面だったが「いつもお世話になってます」と新人の私に酒を注いでくれる。2次会は事務長に誘われて「二人でゆっくり飲もう」とおごってもらった。愚痴を聞くのが私の役目であったが…。

個人病院のT院長は昼前に面会に行くと「昼飯は食べたか?まだなら一緒に食べよう、うちの給食は旨いんだ」と独身だった頃から誘ってもらった。月1回程度の訪問先だったが、行くと一緒に昼食を食べた。そこは事務室の奥の会議室で院長、副院長、事務長など長のつく人が数人、その中にくすり屋の私が一人。確かにおかずもごはんも美味しかった。何が気に入ってもらえたかわかならないが事務長も私を丁重に扱うようになるし病院行事にも招待された。卸の担当者、他社のプロパーも不思議がっていたがT院長にはよく可愛がられた。

香川県の東部には町立、県立の病院があった。そこは合同で毎月ゴルフコンペを開催していた。医師と製薬メーカーの担当者が参加して、コンペの最下位、BB(ブービーメーカー)が次回の幹事になった。自ずと下手な新人が担当となるが私も即参加(6月から練習して夏に社内でコースに出て秋にゴルフコンペデビュー)して即次回の幹事役を務めたものだ。上手いのはベテランの先生方で色々教えてもらった。若手の医師とも仲良くなるチャンスも多くコンペ前に若手医師と約束して練習場集合もよくあった。昼間は白衣の医師でも夜はゴルフビギナーの私達と同じ立場で、ああでもないこうでもないと下手同士が言い合った。これではなかなか上手くならないのも道理なのだが楽しい思い出だ。

〇〇赤十字病院は各地にあるが名物の医師や薬剤部長が多かったように思う。高松でもある薬剤部長は製薬メーカーから〇〇天皇と呼ばれ恐れられていた。そこへ新人の私行くものだから蛇ににらまれた蛙のようなもの、飛んで火にいる夏の虫状態。いつもしかめ面の部長は新薬の紹介などはさらに厳しかった。入社してから3番目の新薬の説明会、しっかり準備して鬼のような薬剤部長の前でしゃべったことがある。いろいろ工夫した成果なのか「よく勉強したな」と褒められた。内服の抗がん剤だったが「ワシも飲んでみたいと思ったよ」と本気とも冗談とも思えないことを言われて嬉しかった。その後は信用されたようで?何かと声をかけてもらい私も頼まれごとは懸命に応えたと思う。この成果は前担当者だった上司も驚いていた。

高松で出会った卸さんや他社のプロパーたち

高松市に赴任して初仕事は医薬品卸さんへ行って挨拶したり朝の業務を見学したりだった。83年当時は当然、地元の医薬品卸さんが多数あって競い合っていた。その後20年たつと四国内での統廃合どころか全国規模の卸グループに合併吸収されていくことになる。当時は歴史ある卸の会社名に感心したものだ。〇〇勧弘堂、〇〇日進堂、〇〇薬業に〇〇薬品。武田系、塩野義系の卸さんもあったが私の入社したN社は扱い順位が低い、つまり売り上げは10番~20番のその他大勢だったから複数の卸さんと特約店契約をしていた。香川県は主に2軒。よく一緒に仕事をしたのはK薬業。卸さんの営業を今はMS、と呼ぶ。製薬メーカーの営業はMRと呼ぶ。

卸さんではK薬業の入社2~3年目の人が何人かいてひるは同行、ランチも一緒に食べて、気が合えば夜は会食もしていた。ちょっと人生の先輩、会社は違うけれど医薬業界のこと、高松の話、香川県の歴史など教えてもらって有意義だった。卸の課長さんクラスは私からはオジさんにしか見えないが穏やかな人か冷たい人かに分かれた。卸さんにとって大手メーカーのプロパーと用事があって新人の中堅メーカーのプロパーに用はない。それでも同行したり会食していると馴染みはできてくるものである。半年もすると私も単独で病院、開業医を訪問するようになる、その情報を卸担当者に伝える、採用された自社品が出てくると対応はガラリと変わってくるから嬉しかった。

病院担当の卸さんはF氏だったが、半年もたつと病院薬剤部の情報を頼みもしないのに教えてくれるようになった。私の医局活動、薬剤部活動を見てくれていたからだろう。開業医担当ではK氏、イベントごとに誘われるようになった。忘年会と花見は開業医さんにとって職員の慰労のため大事な行事だ。施設によっては夏のビアパーティ、秋は月見会と称して宴会をしたものだ。私はK氏の担当先ではゲストとして、後半は会費無し、つまり招待されて参加したものだ。要するに一緒に飲もうよ、と医師、薬剤師、看護婦(今は看護師)から呼ばれたということだ。ありがたい話しだった。

高松へ同じ年に赴任になった他社の新入社員も何人かいた。外資系や大手メーカーばかりだったが私も臆することなく情報交換した。大阪あたりの出身が多かったように思う。同じエリアの担当だとゴルフコンペや忘年会、花見でも合流することが多かった。やがてはターゲット医師に対して情報共有することはありがたいことだった。

P社のY氏は地元のお嬢さんに声かけて交際し始めた。3年目あたりで結婚したのではないか?C社のK氏とは得意先と一緒によく会食した。さわやかな笑顔だったが今はどこへ?M社のトリオはよくスナックで合流した。全員は薬剤師だったせいか3年後にそろって退社して市内に薬局を開いた。潔いものだなあと感心した。その後はどうなったのだろうか?

ゴルフ以外では軟式野球があった。T赤十字病院、K大学病院の内科、泌尿器科の3つのチーム対プロパー連合。市内のグランドや郊外の新しいスポーツ施設のグランドなどナイターが多かった。数社のプロパーとその会社の新人が駆り出された。野球経験者も多いし、医師もスポーツ自慢がいるものでやんやの喝采の中でプレーをしたものだ。時には忘年会、送別会の宴会もあって楽しい思い出が多い。昼間の白衣の医師には話しにくいがゲーム中や宴会の様子を見たり一緒に騒いだりすると仲間意識のようなものができて嬉しかった。それが翌日以降の昼間でもニコリとし合えるようになる、話も聞いてくれるようになるからよけいに感激する。これが横浜、東京に行くとそうはいかない。夜は夜、昼間は仕事とまったく何もなかったように知らん顔されるのに驚くことになる。

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