くすり屋さん

くすり屋さん ヨコハマ時代番外編 ヨコハマのうまいもん①

くすり屋さん こぼれ話

四国時代は医薬業界も会社的にも好景気で得意先(医療関係者)との会食は美味しいものをたくさん食べてきた。会社内でも何かと会食が多かった。むしろ得意先に喜ばれるために高級料理、土地ごとの名物も知っておくべきだと社内で贅沢をする傾向もあった。確かに味を知らないのに得意先に勧めるわけにはいかない。会食に招待するためにはまずは私たちが味見をしておこう、下見をするべきとの風潮だった。すべて会社費用の時代だから社用族とも、ミスター領収書とも呼ばれたのも無理はない。私の横浜時代は92年から2000年。その前半といえば世間のバブルは終わったものの医薬業界、土建屋業界、金融業界の飲食接待、果ては公務員同士の官官接待も派手な時代だった。

横浜の飲食街といえば横浜駅西口、桜木町から続く野毛町、接待するなら関内、馬車道と先輩方や上司から教えてもらった。私も横浜に慣れてくると「研究会、講演会のあと会食はいかがですか?」と医師を誘ったものだ。大体、N社の企画に参加してくれるということは好意的な得意先なので会話はスムーズである。時には「良いお店があったら教えてください」と言うと喜んで紹介してくれるし、私も新しいお店を知ってありがたい情報であった。N社に相応しい?ちゃんと、そこそこのお店をリクエストや紹介をしてくれる医師は良い先生。足元をみてふっかけてくるような医師とは今後の付き合いは控えたい。

よく行ったのはT先生に紹介された関西料理割烹のT本店とその支店。T先生が四国出身だったこともあり、私も馴染んだ店であった。〆に出てくる讃岐うどんが美味かった。T支店の方はプライベート感があってカウンターで飲むも良し、小上がりで4~6人の宴会に丁度良かった。酒は秋田の新政しか置いてなかった。夏の冷や、冬の熱燗も旨かった。

病院回りの仕事では医局説明会というのが重要なイベントだった。大学病院などでは弁当20個、30個は当たり前。業者に運んでもらう時もあるが、有名店に受け取りに行って病院の医局、会議室へ運ぶことの方が多かった。夏はうなぎ弁当、冬はカツレツや焼肉弁当が定番だった。弁当を運んでいると香りだけでお腹が空いてきたものだ。うなぎは関内のWをよく使った。弁当を頼んだり、宴会でウナギ料理を堪能したり。金沢区や横須賀市にも有名なうなぎ店があったがまずは自分で食べてみてから弁当を注文した。

寿司は金沢区の野島公園口にあるS寿司。ネタが大きいのと豪華な見た目がウケていた。ランチ時は社内用、夜は得意先との会食で何回か利用した。魚と言えば金沢区ではあなごが有名だった。「本牧の魚屋の2階」も合言葉のように知る人ぞ知る、の有名店であった。ここは社内でよく使った。車エビの踊り食いではエビが跳ね回る。大の男が皆、叫び声をあげて逃げ回った。私は慣れたものですぐに頭を取って皮を剥いてむしゃむしゃ食った。遠慮する人には焼いてもらった。まだ私も30代で飲んで騒いで、2次会で歌っていた頃だ。それでも12時前には帰宅していた。高知時代よりかなり早いので妻は驚いていた。

よく本店、支店に通った
ランチに、弁当に宴会と利用した
ランチセット、しかし豪華だネエ

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