むかしばなし

ケンケンのむかしばなし16 山の食べ物〜その参〜

野菜

食い意地が張っていたのだろう、昔話となると食べ物のことがよく思い出される。おやつ、などという習慣は子供の頃にはなかった。余裕もなかったということだろう。幼稚園、小学校となって家にかれば「なんかない?」と母がいれば甘えるものだが、母とて忙しい。そうそうお菓子もない。冷蔵庫も大きくないので子供の食べるようなものはない。夏なら「トマトでも食べちょき」と言われて食べてものだ。まだ夏はウリやスイカもあった。冬はサツマイモ。おやつもサツマイモなら晩飯もサツマイモがおかずとなる。時には天ぷら、時には味噌汁に入っていた。野菜は近くで採れるから季節になればそれが続く。春はタケノコとフキの煮物。夏はナスの煮物や漬物。ナスはたまに蒲焼風に直焼きしていた。醤油が焼けて香ばしいが子供が食べて旨いものではない。しかも皮を剥いていない。大学に入って居酒屋で焼きナスを食べたらこんな旨いものだったのかと驚いた。カボチャの煮物が続くのも閉口したものだ。

やがて秋が来れば豆ごはんに栗ご飯。栗は別でおやつに食べたいが皮を剥くのが面倒くさい。秋のおやつに10歳にくらいまではおおきなイチジクの木があったのでイチジクの実をよく食べた。もいだ時は切り口から白い汁が出てきた。見た目は良くないが食べれば甘い。この木はその後、カミキリムシの大発生により枯れてしまった。梅は採れる、枇杷もあった。柿木も1本は甘柿の木で固い甘い実が好きであった。あとは渋柿ばかり、熟して甘いのは良いがジュルジュルして気持ち悪かった。

冬になれば大根料理が続く。たまにはすき焼きもしたが牛肉はあっという間に無くなる。卵は潤沢にあったがそれに浸けて食べる習慣はなかった。大人になってからか。肉がなくなるとうどんが入る、のではなくて大根が入る。大根の煮物となる。これも肉汁を吸って旨いのだがすき焼きではない。我が家はなべ物にする、という食習慣は無かった。夏でもとんちゃんを食べたがフライパンから熱い汁をごはんに兼ねると旨かった。とんちゃんとはホルモンがタレと一緒に袋に入ったもので今でも売っている。肉は子供にはゴムゴムして噛み切れないしセンマイや青いビラビラした内臓系はやはり気持ち悪かった。

おやつはない、おかずは野菜だらけ、ごはんばかり食べていたようだ。面倒な時はごはんに味噌汁をかけて猫飯、あるいはお茶漬け。足らないと袋ラーメンの出番となったのはよくない習慣だったと思う。とにかく母は祖父と父の食事に苦労していたということだろう。祖父と一緒に街へ出て八百屋に卵を売りに行ったことは以前に書いた。私の楽しみはバナナを買ってもらえることだった。憧れのバナナは輝いて見えたものだ。将棋好きな祖父はお菓子屋の岩本、永山酒造、お菓子の民生堂、おもちゃの福本など街中を順番のように回った。腰巾着と言われようが「また来たかね」と言われようが行けばお菓子が出る。おとなしくしておけば良いのだ。親兄弟にも内緒の話であった。

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