むかしばなし

ケンケンのむかしばなし15 山から通う幼稚園

山から通う幼稚園

山にいても教育は街中と変わらない。我が家は浄土真宗の門徒であったから街中に参拝するお寺があった。お寺が経営する幼稚園が町内に2軒あったというのも面白い。もうひとつは浄土宗のお寺だった。私が通った幼稚園は私の代からスクールバス、つまり送迎バスが始まった。これは当時、近隣でも画期的なことだった。大人になってから再会した旧友や地元民からは「あの幼稚園に通ったということはエリートじゃ」と言われて、そんな風に地元では見ていたのかと驚いた。その渦中にいてはわらないものだ。園児だった姉と兄は山下を歩いて集合場所に行き、迎えの幼稚園の先生とさらに1時間は歩いてお寺まで通っていた。幼稚園の先生も園児も大変な往復だった。私は兄を追いかけて一緒に幼稚園へ行ったこともある。3歳の頃だったと思うが、幼稚園の先生の手に引かれて先生の足ばかり見ていたらしい。父が「お前は幼稚園のK先生の足はふっといけえ、たまげた、と言いよったど」とよく酒の肴に話してくれたものだ。今もK先生の顔を覚えている。

2年保育、というのか、私は4歳の時から入園して星組、5歳は月組だった。星組の担任は若い桂先生。この先生はやがて母の弟と結婚して縁戚となる。月組では重本先生、痩せた、目の大きな先生だった。私は山中で育った割には集団生活も嫌がらず、おとなしくバスに乗って幼稚園に通った。それどころか体格も並み以上だったので自然と「親分格」になっていた。キャラメルのおまけなどを持ってきて遊んでいる級友に「ちょうだい」と言えばみんな簡単にくれた。盗ったり脅かしたりした覚えはないが、結果として私はたくさんのおまけ、おもちゃを集めてしまった。やがて父兄からクレームがきてみんな返したような気がする。遊びでは鬼ごっこ、相撲、泥団子作りが流行ったか。街中の幼馴染の男子女子はお医者さんごっこを幼稚園でしていた。私はうらやましかったが、時には傍で見ることが出来てドキドキしたものだ。しかし大人になってから級友に話すとみな一様に覚えていないという。勿体ないことだ。

幼稚園時代から園児の個性は発揮されるものだと思う。同じ幼稚園、小学校から高校まで一緒に通う一大集団に私はいたが、級友それぞれの人生が興味深い。幼稚園の時に優秀だったグループはそのままほぼエリートコースだ。会社の好不況、個々の運不運は別としても、人はそうそう変わるものではない。「あいつがあんなになったか?」と予想外なのは10人のうち1人くらいのものだろう。私は幸いに園児の中で絵が上手い、粘土細工が器用でみんなの尊敬を集めた。どうして上手いのかはわからない。級友も大きかったり、強かったり、足が速いとか、ピアノが上手なら人気者になった。習い事をするには裕福であるということだが、お寺の幼稚園に通っている、それだけでも町内で選ばれた集団だったのだ。街全体でも他にいくつかの子供集団があった。それは小学校、中学校になると初めて会う同級生が増えたことでわかってきた。後から合流した同級生達は私の知らない世界で育ってきたのだ。そのこと自体が私には不思議に思えた。

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