むかしばなし

ケンケンのむかしばなし13 テレビはあったけれど

テレビはあったけれど

昭和35年に白黒テレビを買ったというから私が生まれた年だ。上がテレビ画面、下半分は蓋を開けるとレコードプレーヤーという1台2役の優れもので実に便利であった。当時の子供向けの月刊誌、娯楽誌にはソノシートというビニルのレコード盤がおまけについていた。すぐにプレーヤーで唱歌やラジオ劇を聞いたものだ。テレビのチャンネル権は父にあった。父がいるときはNHKのニュース、相撲、プロ野球、時代劇(チャンバラ)が最優先であった。両親が寝る場所にテレビがあったので夜の10時以降は見ることができない。それでテレビを見る習慣がないまま中学、高校と成長したのでテレビに執着はない。それでも日曜や夏休みなどの午前中は再放送のマンガをよく見ていた。幼稚園の頃はスーパージェッター、エイトマン、鉄人28号、オオカミ少年ケンあたりを覚えている。小学校にあがるとビッグエックス、遊星仮面、ゼロ戦はやと。さらに根性もんの巨人の星。人形劇のサンダーバードやトムとジェリーも好きだった。特撮のウルトラシリーズも始まったが最初のウルトラQは子供には怖すぎた。兄と毛布にくるまって見ていた。初代のウルトラマンだってナレーションの石坂浩二が脅かすのだ。「宇宙人はあなたのすぐそばにいます」なんて終わるものだから夜が眠れなくなってしまう。

子供のテレビは8時まで、と言われていたので人気絶頂の土曜夜の「8時だよ、全員集合!」の初期はあまり見ていない。野球シーズンはナイター優先だ。野球が無いとき、父がいない時に見る程度。その代わり時代劇は父の寝床でよく一緒に見たものだ。よくわからなくてもNHK大河ドラマも早くから見ていた。プロレスではジャイアント馬場が活躍していた。野球好きの父はプロ野球のナイターは必ず見ていた。父は当時としては珍しく南海ホークスのファンだった。しかしパリーグはテレビ放映しない。巨人戦中心の放映だが巨人は大嫌い。相手チームはどうでも良い、巨人が負けると機嫌が良かった。でも私は巨人ファンとなり長嶋、王に静かに憧れていた。兄はアンチ巨人で父と同じだが阪神ファンになり江夏、田淵に憧れていた。野球帽を買っても私は巨人のG、兄はタイガースのTのマークがついていた。

太平洋戦争の時、祖父はすでに退役して工場勤務、父は終戦時16歳で海軍の訓練生として過ごしていたそうだ。その当時の話を聞いても一切話してくれなかった。よほどひどい目に合ったのだろうがアメリカ嫌いというわけでもなかった。なぜならビッグモロー主演の「コンバット」のテレビを毎週見ていたからだ。夜の放映だから私も一緒にふとんに入って見ていた。すぐにテーマ曲は覚えた。子供の遊びはチャンバラごっこ、戦争ごっこが多かった頃である。「コンバット」のサンダース軍曹は確かに男くさくてカッコよかった。それにしてもテレビの中のドイツ軍は弱かった。子供でも「これはおかしい」と思ったほどだ。

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