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乳がんの新薬、今度はどうか
抗がん剤に限らず、90年代は色んな薬剤の改良型、つまりは化学構造式を少し変えて副作用の種類を変えたり、主な副作用を減らしたりする誘導体が多く発売された。一般世間的には新薬であるが製薬メーカー、医療担当者にとっては「また似たようなものが出たな」という感想だった。しかし従来の薬剤と似ている、というのは医師にとっては安心感があるもので、抗がん剤なら尚更に使い勝手が良さそう、という印象があった。乳がんの術後に再発防止のために飲む抗がん剤は既存の薬剤があったが、その改良型をN社はEUの会社から導入して95年に発売した。うたい文句は副作用が少ない、既存の治療で効かない乳がん再発例に対しても有効、ということだった。さて乳腺外科の医師の感想はいかに?
乳がん術後の再発予防の抗がん剤は一剤しかなくて競争の原理がなかった。そこに不満な乳腺外科医が多かったせいか、私は早くから実績を出すことができた。乳腺外科のリーダーから「〇〇社よりおめえのところにする。効果は同じで副作用が少ないなら患者も喜ぶ」と言われた。「今使っている他社製剤の症例を全部変えてもええぞ、どうだ?」と聞かれて私はとまどった。「全部変えてください」とは言えなかった。「半分で良いです」と返事したのにはY先生は苦笑していた。そんなやりとりがをあったので当時、若手医師だったI先生、M先生は、今でも私を信頼してくれている。
横浜営業所としてはそんなうまい話しは他にはなかった。むしろ「誘導体は大した違いもメリットもない」ので新規採用には難渋した。大手メーカー、または外資系の資本力にはN社は足元にも及ばないから同じ土俵には上がれない。1例ずつ、困った症例、再発した症例から試してもらう、という地道な活動により実績はじわじわと伸びていく程度だった。まったくの新薬、新しい作用機序、これまでにない効果のある薬剤ではないが、はまれば患者さんにメリットのある薬剤だったので、私は自信をもって紹介したが伸び悩んだ新薬だった。私個人はそこそこ成功し、大学担当者として乳腺外科グループの先生方のイベントの手伝い、新たな会合企画の推進など、大いに活躍できた。泌尿器科に続いて横浜の乳腺外科グループでは「N社に〇〇あり」と伝説を残したらしい。
嵐の予感再び
さて、N社の横浜営業所としては2つの新薬を発売したものの泌尿器の抗がん剤は早々に行き詰まった。乳がんの薬は予想通り?伸長はゆっくりであった。市場が大きいだけに品目の売り上げ計画は未達だった。しかし全社ではもっと苦戦していて、スタートは良かった横浜営業所は既存薬剤の堅調もあって営業所の計画達成どころか、日本一の営業所、という栄誉に輝いた。私はグループ長だったが特に歓びは無かった。苦労が多かった分、慎重でありたかった。「勝って奢らず負けて挫けず」しかしU所長は日本一の大営業所長となって自信を深めた。困ったとこにU所長はさらにパワーアップしていくのであった。依然いたK
部長、K所長と同じパターンが始まった。