宮崎県から鹿児島県へ。つまり旧国名の日向の国から大隅の国へ。鹿児島イコール薩摩と思ってはいけない。現在の鹿児島県に西半分くらいが薩摩の国である。薩摩の国府は川内市にあったという。では大隅の国府は?宮崎県との県境を越えて山を下ると国分という駅に着く。ここらが大隅の中心地、国府のあった土地だから「こくぶ」という呼び名がその証拠だろう。
都城駅を西へ行くとすぐに鹿児島県である。江戸時代の都城地区は薩摩藩であった。市内の島津邸に行くとその後の島津家発祥の地らしい。鎌倉時代以来の島津氏よりもっと昔は日本国の初代天皇、神武天皇ゆかりの地ということになる。霧島神宮もその一つだが駅では大天狗が迎えてくるので気分も高まる。温泉が多いのも魅力的で古事記の世界をこんな?山の中で想像しながら旅ができる。
私は蒸気機関車時代に霧島神宮駅で降りてタクシーで日豊本線の峠を目指したことがある。タクシーの運転手も慣れたもので汽車の撮影名所へすぐ行ってくれた。小1時間一緒に待ってくれて、並んで蒸気機関車の奮闘を眺めたものだ。確かに旅客用機関車のシゴナナにとって山越えは苦しそうだった。ゆっくりと、しかし大きなドラフト音を山々に響かせて、黒煙を噴き上げて去っていった。フィルムがなくなるほど連写してしまった。
現代では宮崎から鹿児島まで電車が走り、山越えも楽々である。霧島神宮、国分を過ぎて隼人駅に着くとそこからは肥薩線が北へ分岐している。「薩摩隼人」、いえば古代日本において勇猛な隼人民族を指すらしい。それがイコール薩摩武士を表すようになり、現代でも鹿児島県出身の男性のことを言う。「肥後もっこす」、「高知のいごっそう」、は必ずしも褒めていない部分もあるが「薩摩隼人」と聞けば何やらカッコいいと思ってしまう。
国分の城山にはC61型の蒸気機関車が保存されている。1974年4月に宮崎駅で会ったことのあるカマだ。シゴナナの中でみるC61型はでかく見えたものだ。残念ながら露天の保存なので状態はよろしくない。