宮崎駅から都城方面へ行くと青井岳という山越え路線がある。蒸気機関車時代は風光明媚さと坂道があるとことから撮影の名所となっていた。1974年4月に訪問した時は宮崎駅から見える機関区の賑やかなことにまず圧倒された。貨物に客車に蒸気機関車がモクモクト煙を吐いてやってくる。機関区からも汽笛や入換が賑やかだった。油断しているとすぐに次の列車の発車だ。宮崎駅ホームを走り回ったものだが機関区に行くヒマはなかった。
その時は汽車に乗って田野駅へ行った。ここも撮影の名所だった。春のレンゲ畑でのんびりと列車を待った。それどころか午後の列車が時刻通りに来ない。お目当ての客車を撮る頃には夕暮れとなった。昼飯も食べずではなかったか?後で聞いたら沿線で山火事があったらしくダイヤは大幅に乱れていたのだ。結局2~3時間遅れて宮崎駅に戻った。田野駅では喉が渇いて缶のみかんジュースが美味しかったのを覚えている。
都城駅は1974年当時、吉都線(吉松駅―都城)と志布志線(1987年廃線、西都城駅―志布志駅)が入っていたので賑やかな駅だった。蒸気機関車だらけなので見ていて実に楽しかった。ここではデゴイチ、シゴハチもやってきた。列車の到着と発車はここも油断がならない。主役は日豊本線の発着、さらに貨物の入換にも蒸気機関車が活躍していた。
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