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釧路の続き
まだ釧路が続く。釧路の夜はさんまの刺身に焼きカキで酒がうまい。1971年の釧路機関区にはC58型17両とC11型が7両配置されていて大所帯だった。なんとD51も2両配置されていて、これは根室本線用と思われる。釧路駅前にD51動輪の記念碑があるのもうなずける。2000年まで扇形車庫が残っていたようだが残念ながら拝むことはできなかった。
SL「冬の湿原号」
SL「冬の湿原号」はH12年から復活運転が始まった。私も2001年年冬から通い始めた。復活SLのC11171号機は最後まで釧網本線で活躍した1両で沿線の標茶に展示保存されていたものだ。現役当時の機関士だったK氏が再び大活躍、2003年に惜しまれて引退された。そう言えばSLニセコ号の名物機関士だったY氏も2003年末に引退された。
釧網本線は釧路駅を発車すると釧路川を渡り北上する。アップダウンを繰り返しながら標茶、川湯までほぼ坂道を上る。川湯を過ぎると峠のトンネルがあるが復活SL運転は川湯止まりなので残念。
2001、2002年は川湯までC11の重連運転が多数運転されて全国の鉄ちゃん達を熱狂させた。2003年は1両が検査に入ってDE15の後押しとなった。(2004年の運転も同様、2005年の運転予定にもC11重連はない…)
酔狂な人もタンチョウ鶴、エゾシカも
この沿線には温泉も多い。塘路駅には鉄道ファンが高じて喫茶店を開いている酔狂な横浜人がいる。茅沼駅にはタンチョウ鶴が待っているし、エゾシカとの遭遇も多い。線路を渡るエゾシカの群れはしばしば列車の遅れの原因となっている。
冬の青空にはタンチョウ鶴が舞っていることもある。想像以上に大きいのでとても優雅な飛行姿である。運が良ければ希少なオジロワシやタカにも会えるだろう。
厚岸
釧網本線は東釧路から分かれて根室本線はそのまま東進する。別名、花咲線とも言う。
厚岸(あっけし)、厚床(あっとこ)と読みにくい駅名が続く。厚岸はカキの養殖が有名で駅弁の「かきめし」はうまい。
厚床
厚床は釧路~根室も中間点で標茶~標津~厚床の標津線が分岐していた駅だ。駅構内には丸いプール状の遺構があってよく見るとSLの転車台跡であった。
たぶん手押し式でSLの方向転換をしていたのであろう。標津線はとうに廃線である。
根室
根室~納沙布間は車で走破したが日本の東端を制覇したことになる。北方四島が返還されれば再び根室も活気を取り戻すだろう。稚内も樺太行きの規制がなくなればまた脚光を浴びるだろうに…。
「花咲がに」は一度食べたら忘れられない。真っ赤な色は縁起が良いし、味も「毛がに」より濃厚だ。根室駅前はさっぱりしているが、少し歩くと丘の上だということがわかる。ときおり坂道の下に青い海が見える。
さて、ようやく釧網本線を北上してオホーツク海に出る。斜里という知床半島の根っこの駅で一休みするのも良い。ここから海沿いの丘陵を走る。原生花園は夏には色々な花が咲くと聞く。歌にある「はまなすの咲く頃~」というのもこの辺りでは見慣れた風景らしいが私は初めてお目にかかった。浜小清水駅は木材の積み出し用ヤード跡が広い。今は車輸送になってガランとしている。しばらく北西に走るとようやく「あばしり」に着く。
網走
私の中学2年の北海道旅行では網走までは来た。「網走刑務所」というやくざ映画の影響で、怖い、暗いというイメージがあるが、当時も結構な駅前の賑わいがあり、明るい感じなのに驚いた記憶がある。
駅のホームから見えた車庫(くら)や気動車庫は30年前と変わっていないのにも驚かされる。ここからキハ183の特急「オホーツク」が発車するのだ。
現代でも札幌までゆうに6時間かかる列車旅だ。網走から湧網線というローカル線が出ていたのを忘れてはいけない。今は廃線となっているが私の思い出の地である。
(2004/1/1)