山の中で生まれたから運動神経が良いとか体力があるとか、本当だろうか?私は山の中で生まれて育ち、山の中で遊んだ。姉や兄の後ろについていったり一緒に遊んだりしていた。家の中は広かったが庭はもっと広く畠もあって南の山まで続いていた。山の中まで庭と言えば庭だろうし遊び場であった。北側の山の斜面は崖のように急だったがターザンごっこだと言って竹や蔓を使ってぶら下がってよく遊んだ。坂道を降りないと他所へ遊びに行けない、日が暮れれば坂道を登って帰宅する。自然と足腰は鍛えられた。だから幼稚園に行く頃には並み以上の体格だったので同級生に負けることはなかった。それでも街中で生まれた中にも大きな子供、力のある子供がいたのは不思議に思えた。
運動神経、運動能力なんて天性のものなのだろうか、親の遺伝なのだろうか。私は姉、兄がいたので自然と競争になったり追いつこうとしたりと頑張ったのだろう。足は速くなかったが体力は並み以上だった。だから幼稚園では早くも力自慢でガキ大将的にみんなを従わせていた。かと言って、暴力をふるうのではなく言葉でいじめることもしなかったと思うのだがどうだろうか。1960年代の当時は野球が大人気。大人も子供も熱中していたので私も小学校2年くらいになるとキャッチボールやバッティングをするようになった。父は野球が大好きだったし兄も早くからグローブを買ってもらって庭でキャッチボールをしていた。そのうち私も加わるが簡単ではない。しょっちょう体に当たったり顔に受けたりでよく泣いた。
小学校でドッジボールが流行っていたのは3年生、4年生の頃だろう。同級生の中で私は上手いグループに入っていた。攻撃ではボールを取る、投げる、当てる。枠内にいればそのボールをよけたり取ったりするのは高度な運動神経が必要だった。体力だけでは上手くできないゲームだ。相撲も体育の授業にあった。祭りの相撲大会にも各地区で半強制的に参加させられた。私は同級生では上位にいたが学年代表までとはいかなかった。友人のIは学年代表として町内の小学校大会で優勝した。小学校5年になると学校対抗の相撲大会はなくなった。時代の流れか。私は体育の時間で苦手な種目はなかったが鉄棒は好きではなかった。鉄棒は女子に上手い子が多かった。校庭の鉄棒では普段からパンツ丸見えでくるくる回っている女子が何人もいた。これは不思議な光景だった。
小学2年生の頃からごはんを沢山食べた。毎月の体重測定で増えるのが楽しみだった。それで走るのは遅くなった。小学3年4年の頃はコロコロしていた。ソフトボールにも夢中になったのもこの頃。父や兄と野球をすると子供扱いだったが同級生仲間なら負けなかった。打てば弾丸ライナー、投げればコントロールが良いのですぐにエースピッチャーとなって活躍したこと以前に書いた。