私が中学校の頃、男子は丸刈りだった。校則にあったかはわからないが小学校6年生として偉そうにしていたのに中学に入学前にいきなり丸坊主だ。カッコ悪くて仕方ない。長髪をわけて大人ぶっていたのに丸坊主、初日は親も笑いをかみ殺していたように思う。髪の毛の話しではない、怪我の話しだが、私は小学校時代、2回頭に怪我をした。それぞれ2針、3針か縫った。2回とも小学3年生の時、相手はKだった。遊んでいた、ふざけていた結果ではあるが、3年後、頭を坊主にすると右の生え際、後ろ頭に傷跡(田舎ではキッポという)が見えてしまう。どうかん坊主の証明、暴れん坊だった?と言われても仕方ない。2つ上の兄は「きれいな頭、傷一つない」というのが母の自慢だった。ケガ(毛が)無くてよかった、とはこのことだ。同級生に小学1年時か、頭に大けがをしたHがいたが、これは目立つ傷跡だった。かれの坊主頭のその部分を隠すように長めの毛があった。悩んだ中学3年間だったことだろう。ちなみに彼は街中にある散髪屋の次男坊だった。
幼稚園に上がるまえに私は顎も大きな怪我をしたので今もよく見るとその跡がわかる。庭の竹の上に乗ってはしゃいでいると滑ってこけたら石に顎を打った。父親におぶられて医者に行ってやはり何針か縫ったようだ。幼稚園にあがってから車に轢かれたことは以前に述べた。一つ間違えれば私はこの世にいない。わずかな足の捻挫ですんだのは奇跡だった。小学校時代の怪我はほかに自宅の鉄棒から落ちて腕を捻挫したことがあった。母が手製のシップ薬を調合してくれて腕に巻いてくれた。薬草?玉ネギや生姜入り?のせいかすごい匂いがした。それでも総じてかなり元気な子供時代を過ごしたのは幸いであった。
風邪をひきやすいとか熱が出る、お腹を壊す、なんて苦労した思いはあまりない。姉や兄がたまに寝込んでいたが私も物心ついてからは冬でも元気に遊んでいたようだ。冬と言えばしもやけだが当時のこどもは手足や耳たぶによくできた。姉や兄は指のしもやけが割れて痛そうであった。姉がお灸している(お灸をヤイトと言った)のを何度か見たが私はヤイトの記憶がない。山の中で生まれて虫やバイキンに囲まれながら(今に比べれば不衛生だった)の生活なのに我が家の子供たちは丈夫な体だったことがわかる。流行性感冒とやらも罹ったことがない。それでも時には風邪をひいて熱を出すこともあった。小学校に入った頃はすでに酒の味を知っていたので母に「玉子酒ちょうだい」とねだったものだ。これが熱くて甘くておいしかった。大学生時代に自分で作ってみたがおいしくなかった。母の味にはかなわない。
風邪をひきやすい、と誤解され始めたのは小学校4年生のころだったか?夏から秋にセキが出始めると長く続く。これも以前も紹介したがダニアレルギーの始まりだったように思う。鼻水からセキ、喘息様となり気管支炎と診断される。熱がでるわけではないが原因不明のセキは結核か?といわれたくらいだ。このダニアレルギーの症状が成人まで、強弱をつけながらずっと続いて長く苦しむことになる。