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人と人との出会いは田舎も都会も変わらない
横浜では新勤務地ということで私は新人の気分だが、会社人としては10年目の中堅社員だった。横浜メンバーは若い社員も多くて年下がいっぱい、入社したばかりの新人もいた。
私を呼んだK部長からも「若手の指導を頼む」と言われていた。そのためにはまずは私が横浜に馴染むこと、担当先で早く結果を出すことだと思い1年頑張った。
四国時代の営業は横浜でも充分に通用した。会って話せば横浜の医師も薬剤師も変わらない。横浜の大手卸のS社も四国の地元卸と同じだった。早くから私は得意先から一人前扱いされてほっとした。
「ワシは田舎もんじゃが田舎も都会も、人と人の出会いは変わらん」と思った。
都会での仕事
ところが若手社員はバブルで採用された新人や中途社員だらけ。しかも当時の採用の人事担当は私もよく知っているN氏だったがあとから聞いたら「N社らしくない人間をわざと採用した」ということだった。どおりで個性派の若手がそろっていた。
私もまだN社や医薬業界にどっぷり、という気分ではなかったが「こいつら変だろ?うちの社風に合うのか?」と違和感を覚えたものだ。案の定、社内だけでなく、得意先でもトラブルは絶えなかった。
そんな横浜営業所、病院横浜営業所の雰囲気だったが、新参の私には広いフロア、多人数の若手社員と女性事務員(2名)に囲まれて、ようやく大会社にいるようで満足したものだった。
「ワシは今、都会で、憧れのヨコハマで仕事しているじゃないか」
新メンバー、新組織の蜜月の終わり
新メンバー、新組織の蜜月は長く続かなかった。まずは病院横浜営業所、1年目で全国トップの営業所となった。K所長は鼻高々であった。好調のままで松本営業所の所長として転勤となったが日本一の所長を初めから全面に打ち出した。これで所員から総スカンをくらい1年足らずで名古屋へ転勤となり退社された。
結果を出した病院横浜営業所は3年で役目を終えたということで横浜営業所に統合されて4つのチームに分かれた。私は第3チームのチームリーダー。メンバーは4人なので気楽だった。
私の担当エリアはずっと横浜市の中区南区と金沢区の大病院。しかし病院横浜営業所のUリーダー、K氏、H氏が退社、同期のT氏は東京病院課に転勤。人の流れは速い、四国時代とは段違いだ。選抜された病院横浜営業所員は8人いたが横浜営業所に残ったのは新人のFを入れて4人となった。
統合された横浜営業所は15名の大所帯となり、女子事務員も2名いたのが退社。そこで厚木営業所からSさんがやって来て事務員となった。神奈川営業部も横浜支店となりK神奈川部長は支店長となった。K支店長派のK病院横浜所長、Uリーダーはいなくなったので私に期待すると言われたものだ。
波乱ののち…
ところがK支店長が引っ張ってきたU横浜所長が統合された新営業所の大所長となると飼い主の?K支店長に噛みつき始めた。
予想されたことではあった。U所長の個性が横浜でどうなるか、というのは全社でも注目されていた。部下に対して今でいうパワハラが心配されていたのだが、まさか上司のK支店長に歯向かうとは予想外であった。
それでも本格的なバトルになる前にK支店長は本社学術部長に栄転された。
所員も私も安堵したがそれは嵐の前の静けさに似た、一時の平安に過ぎなかった。
二俣川セントラルハイツ