筑豊本線から思い出してみよう。北部九州を代表する大河が遠賀川である。上流にはかつて炭鉱や宿場町があり遠賀川は重要な物資運搬ルートであった。江戸時代以前から近代まで主要な物資運送船であった。舟運にかかわる荒くれ男たちが「川筋もん」と言われた。五木寛之の「青春の門」の舞台は遠賀川上流の飯塚、田川あたりである。
筑豊地方とか筑豊の範囲は不明瞭らしいが名前通り、筑前の国と豊前の国を結ぶ、で北九州市から福岡市の一部までと想像している。
私が昭和47年~50年(1973~1975)訪れた筑豊本線はまだ蒸気機関車(SL)が沢山走っていた。遠賀川鉄橋のある中間―筑前埴生あたりは撮影名所として多くの鉄道ファンが集まったものだ。
さて現代はどうか?何も変わらない、電化されて電車が走っているが30年前と変わらない鉄橋の景色に感激した。しかし確か複線であったのに単線となっている。橋脚の赤レンガがまだ残っていたのでここだろうと思う。デゴイチ、デロクマル型のSLが石炭、貨物、客車を牽いて右に左に走っていた頃は盛んな場所であった。
鉄道開通の前は遠賀川を川船が行き来していたことだろう。そんな地元の画家「山本作兵衛」の絵を見たことがある。筑前埴生には大きな神社、埴生神社もある。古代より遠賀川の舟運から玄界灘に出る要所であったそうだ。川から海へつながる、世界につながるのだ。埴生公園には筑豊地地方で活躍したC11型のSLが保存されている。よく整備されて美しい。
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