新薬は晴れのち土砂降り
個人の努力、現場の努力ではいかんともしがたい事件が起きることがある。それはN社に限らず、他社大手も外資系メーカーでもいつ起きるかわからない事件。得意先からの信頼喪失の被害と損失は中堅メーカーでは致命的になることがある。N社の前立腺がんの新薬も、海外ではエビデンスの高い薬でも、日本人での効果と副作用は発売してみないとわからない部分がある。発売以来半年で一気に万単位の患者さんに処方されて有効性が確認された一方、開発治験時よりも肝障害が多いということが2年間の副作用収集で判明してきた。患者が高齢であること、合併症があること、発売1年たつと長期処方が可能になったことが原因かもしれない、劇症肝炎が増えて、死亡例も出た。
この副作用は日本人に多い事があとから判明したが1カ月処方、毎月の肝機能検査で防げる副作用であった(2~3カ月の長期処方をしてその間、肝機能検査無し、が主な要因と分析された)。それが某国営放送局の朝6時のニュースで「がん治療薬、肝障害で死亡例多数」と放映してしまった。誰も得にならないニュース、服用している患者は驚くし、処方している医師、薬剤師など、すべてに迷惑なニュースだった。N社はその日の10時にプレスリリースして状況を報告し、対処方法などを説明する予定だった。全国の営業所が得意先回りの準備を万端に整えていた。ああ、それなのに…。スクープした記者は金一封が出たかもしれないとか、いやいや、社内で誰かリークした人がいたのか?と疑心暗鬼になるような事件だった。朝から処方されていた患者が病院、医院に電話したり駆け付けたりで大混乱。すぐにN社の各営業所、支店に得意先から問い合わせの電話が殺到した。
「寝耳に水」の薬剤師、医師は朝から患者に責めたてられて応対したのだが、その怒りはN社の担当者に向けられる。「なんでもっと早く」「なんで事前に知らせてくれない」と叱りつけられた。詳細と対策に関する資料は作成していたので1軒1軒直接訪問して説明した。「お知らせが遅くなりまして申し訳ございませんでした」。7月末の暑い中、横浜でも全員で手分けして納入先を全軒訪問した。大きな病院ほど、その薬局長から怒声、罵声を浴びた。大病院、がん専門病院では多くの患者が問い合わせてきたのだろう。しかし中には冷静な得意先もあった。「がん治療に副作用はある」「それより何でメーカー発表より先にニュース報道があったのか?なぜスクープを防げなかったのか?」と逆に問い詰められた。
私もグループ長として担当先は勿論、担当エリア内は全員で振り分けして炎天下、1軒ずつ訪問して説明した。約2週間でお詫びの行脚は終了した。当然、新薬の売り上げは激減、私が始めた横浜の研究テーマもストップした。発売してわずか2年、世界のエビデンスがある前立腺がん治療薬は日本では通用しないのか?なんで日本人だけが?当時は謎だらけのままだった。私は訪問結果の社内報告書を粛々と作成し、淡々と今後の対応、信頼の回復へ向けて所員と再スタートを誓った。みんな疲れ果てた、途方に暮れたお盆だった。