みちのくよもやま話

みちのくよもやま話~お祭り編

東北は祭り、これを記録しないと「みちのく話」は終わることはない。(2012年当時)

お祭り

青森:弘前ねぷた、青森ねぶたetc

青森には「ねぶた祭り」がある。弘前は「ねぷた」、五所川原はなんと「立佞武多(たちねぷた)」である。弘前と五所川原はねぷた、で、ぷと濁らない。

どれも勇壮、壮大であるが、弘前は出陣の厳かな雰囲気。勇猛心を内に秘めながらの行進と言えよう。「ヤーヤーどー」の独特の音階、掛け声は現場に行かなければ味わえない。張子の山車はやや縦に大きいが信号機や電線を通るたびに上下してくぐる工夫がなされている。機械仕掛けに笑えるがやる方は真剣だ。電線にひっかかれば大事故になる。

青森の「ねぶた祭り」は勝ち戦の祝いの意味と言われている。「ラッセラーラッセラー」の掛け声は「やったやった、勝った勝った」とも聞こえる。ここの山車は横に大きく派手である。弘前よりも規模が大きい、最終日は海に流して港からは花火があがる。最後までは見たことがないが豪快そのものだ。でかいねぶたが夜の海に浮かぶとはどんな景色か。

近年の復活が五所川原の「立佞武多」。20メートルの高さは半端ではない。江戸時代後半から高さを競うようになったとか。明治には古写真も残っている。以降は町中に電柱、電線ができて中止。廃れたようだが練り歩くコースを限定し、電線と信号機を工夫して復活した。これも行って見るしかその迫力は実感できない。「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声は青森よりすごい。まさに合戦中の掛け声だ。実に景気がよい。吉幾三がテーマソングを歌う。この演歌はカラオケで大勢が歌うのに相応しい歌である。北のエネルギーは素晴らしい。

2010年 弘前ねぷた しずしずと進む
2006年 青森ねぶた 夜は一層映える、跳人が騒ぐ
2007年 五所川原の立佞武多 とにかく高い

弘前藩5万石の城下町(江戸時代後半は10万石)、その広大な城郭はほぼ残っている。冬は雪灯籠祭りを開催し雪国の特徴を宣伝している。地吹雪ツアーも人気になるのだから寒さは十分観光の目玉になる。。風さえ無ければ、雪の夜、城内は幻想的だ。

2007年 弘前城雪灯籠祭り 吹雪かなければよし

青森、弘前は津軽地方である。津軽藩と対立するのが南部藩である。青森県は東側が旧南部藩となる、今でも仲が悪い。外部の人間である私はそれを楽しんでいるところがあった。それぞれに素晴らしい文化があるからだ。

八戸の冬祭りには「八戸えんぶり」がある。これは馬の首、頭をかたどった被り物をして激しく踊る。昼間はもちろん、夜が本番。見ていると馬の元気な姿を彷彿させる。それは実に激しい踊りだった。馬が元気でいることが農家は大事なことなのだろう。

2008年 八戸えんぶり祭り 馬の化身か

秋田:秋田竿灯まつり、鹿角の花輪ばやしetc

竿灯祭りも良い。「一回見ればよい」などと言う人もいるが私はそうは思わない。

何度も見なくてはその技は理解できまい。実に大した芸である。ちょっとやろうとして、あの竿灯はとてもかつげない。日ごろの鍛錬のたまもの。若い人が都会で学生、出稼ぎして帰ってきて簡単にできる技ではない。

笛、太鼓のお囃子も良い。電気仕掛のアンプ、スピーカー音は控えめにしてある。生演奏、地声が一番。「どっこいしょ、どっこいしょ~」の掛け声も重々しくて良い。風が吹くとおっとっとと倒れそうになる、倒れるのも演出。それぞれにろうそくに火がついているとか。迫力とハラハラが楽しめる。

2006年 秋田竿灯まつり 稲穂のようになびく
2010年 鹿角の花輪ばやし

西馬音内。この地名は読めない。一晩中の演奏、盆踊りをやっている、ということで有名になった。西馬音内(にしもない)だけが特別か、いや、そうではない。残っている地域が少ないということ。

秋田、出羽の国の盆踊りの特徴は妖しく延々と踊り続ける。一晩中の踊りを数日続ける。なんたるエネルギーか。それが西馬音内で今も見ることができる。なんたる地域の繋がりかと感動を覚える。日々の暮らしが厳しいから、自然への感謝と畏怖が強いからこその祭りであろう。古き良き?日本が脈々と続いているのが秋田だ。他の地域にはない粘っこいものを感じる。

2009年 西馬音内の盆踊り お囃子も踊りも最高

三大競技花火大会のひとつ、大曲(おおまがり)の花火大会は大したものだった。見る価値はある。よほどの台風、大雨でもない限り中止にならない。あまりに沢山の人が集まるので行くのも帰るのも大変だから、テレビ中継で楽しむ方も良い。そのために一度は本物を現地で見ておかないといけない。

あまりに良い花火を見てしまうと他の花火が陳腐に見えてしまい困ってしまうが。それだけ技術の高い、素晴らしい花火だということ。

2006年 大曲の花火大会 日本の伝統がここに

秋田県の南部になるが横手という小さな城下町がある。かまくら祭りなんて風習はここにしかない。雪国は他にも多いのに不思議なことだ。かまくら内には神棚があり水神様が祭ってある。春からの五穀豊穣を祈るのか。

祭りは子供が大人を接待する。小学生が上級生、下級生、男女の調整をして班分けするとか。良い体験になるだろう。成長してどこに行っても一生の思い出になるだろう。「寄ってたんせ~」と声をかけられたら、かまくらに入る。甘酒、焼きもちをいただいて、しっかりお賽銭をしましょう。大人も泣ける体験ができる。

2006年 横手かまくら祭り 時が止まる

岩手:盛岡さんさ祭り

南部藩10万石の城下町、盛岡の夏を彩る華やかな祭り。東北三大夏祭りという呼び名に相応しい。太鼓に踊り、お囃子の行進=太鼓のパレードとしてギネスに記録されたはずだ。和太鼓を持つ機会があったので持ってみたらズシリと重い。

それをうら若い女子がおなかに抱えて、叩いて、かつ踊る、これは大変な体力を要する。しかも美人が多い。東北でも秋田美人か南部美人か、まず良い勝負。これは見ていて飽きない。先頭は踊りのみのミスさんさがやってくる。これも見逃せない。

2007年 盛岡さんさ祭り 雨中でも若さ爆発!
2009年 世界一の太鼓パレード ミスさんさ

宮城:仙台七夕まつり、青葉祭りすずめ踊りetc

東北の三大祭り(青森ねぶた、盛岡さんさ)の中で不評なのが仙台七夕祭りである。五大祭り(秋田竿灯、山形花笠)としても厳しい。動きが少ないせいだろうとも思うが祭りの由来は古く七夕の意義もある。飾りつけもなかなか素晴らしい。

近年はパレードを入れたり「すずめ踊り」も出たりで華やかになった。本来「すずめ踊り」は復活した「青葉祭り」(5月)がメインなのだが、あちこちの祭りで披露されている。宮城版のヨサコイソーラン祭りというところか。表裏色の違う扇子を両手にもっての激しい踊り、団体がそろうと豪華なである。雀の飛ぶ、跳ねる、をよく表現している。

2006年 仙台七夕まつり
2010年 青葉祭りすずめ踊り

すずめ踊りは仙台城(青葉城)完成のお祝い先週の石工が踊ったのが始まりと言われている。江戸時代の初め頃である。銀行や生命保険会社、デパートのグループは美人が多い?いや、若い女性が多いので一見の価値がある。
仙台市の北部、泉区の「ふるさと祭り」は盆明けの開催なので花火大会は自宅から見物した。「ああ、、また仙台の夏を過ごした」と実感する時である。

仙台の冬の目玉は光のページェントである、イルミネーションがキレイ、は東日本ではトップだろう。定禅寺通り、欅並木、ちょうど良いものがよくあったものだ。12月初めから年末まで点灯する。9年間見てきたので3回は雪景色の中を見ることができた。まるで札幌あたりのイルミネーションかと思ってしまう。冬の風物詩、仙台も良いイベントをしてくれるものだ。

2010年 仙台の光のページェント

山形:山形花笠まつり、大山新酒まつり

山形花笠まつり。市内の七日町の通りで踊りながらの行進。これは近い位置で見ることができる。それだけに若い女性かそうでないかが見えすぎるのが難点、でもある。元々は山形市内の踊りではなく尾花沢あたりが起源らしい。いろいろな地区の連が出てくるがそれぞれの地方で続いていた踊りが合体したものであるらしい。合いの手、掛け声は有名な「やっショー、まかショー♪」となる。

祭りよりも山形では名物の蕎麦を食べて、旨い地酒を飲んで城下町を歩きまわる、これが私の常であった。山形駅から七日町はけっこう歩く。藩としては小さくなったがその分、商人の街になった、というのが山形市の歴史。七日町には蔵のある商家、大きなうだつの上がる蔵屋敷が続く。これだけでも見る価値がある。

2009年 山形花笠まつり 近い、よく見える

鶴岡市は庄内地方、庄内藩となる。酒井さんが殿様だが酒田港の北前船の利益で藩は成り立っていた。商人の本間家の利益が藩内に還元されたからだ。大山地区には作り酒屋が江戸時代、40軒もあったとか。その後は火災やら北前船の衰退で現在は4軒が残るのみだが2月にはそろって新酒祭りをしてくれる。これは日本酒好きでなくても楽しめる。

近くの湯野浜温泉も楽しめる素晴らしい祭りだ。こんな1キロ四方くらいに4軒の酒蔵があり、そして一緒に新酒まつりをするところは無い。

2012年 蔵開き 大山新酒まつり3回目の参加

福島:会津ろうそく祭り、会津祭りの武者行列

福島の祭りはとうとう有名な祭りは行かなかった。相馬野馬追い、福島わらじ祭り、郡山采女祭り、須賀川の松明あかし(火祭り)など。見に行く、という行動は実にエネルギーのいることで、「行くぞ」と思い切らねば実現は難しい。

それでも会津若松市には行く機会が多かった。会津冬祭りでは90年代にはお城から花火もあがった。2月の夜なので吹雪くとせっかくの花火が見えなくなるのが残念だったが、それも一興。冬に花火があがる、今では温泉場やスキー場で見られるが当時は珍しく驚いたものだ。その後は絵蝋燭祭り、灯籠祭りを冬の会津若松城で開催してくれた。これも雪の城址、夜景の城址を大いに楽しませてくれた。

2008年 会津ろうそく祭り
2013年 会津祭りの武者行列

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