私は現在、鉄道を愛し、蒸気機関車の撮影に情熱を傾けた生活を送っている。(2002年当時)
仕事柄良く鉄道を利用し、北海道内を走り回っている。道内では復活SLの運転が各地で行われ、私も嬉しい悲鳴をあげている。全道のSL運転を網羅するには、あまりに北海道は広すぎる。
とは言いながら、ここらで最近のSL撮影の沿線で、見たこと聞いたことを書き記しておく。併せて、かつてのSL名所、SL基地がどうなっているのか、私の思い出も含めて記録しておきたい。
(札幌在住2000年~2003年)
目次
函館界隈
順に南から北上してみようと思う。まずは函館界隈。青函連絡船が青函トンネルに替わって以来、駅前や構内は寂れるばかり。かつての連絡船への渡り廊下は一部がまだ残っているのは奇跡だろう。同じ連絡船でも四国高松の宇高連絡船の高松駅は一昨年大改装されて何の面影もない。駅自体も港から離れてしまった。函館駅も改装の予定らしい。函館は五稜郭、函館山一帯、高田屋嘉兵衛ゆかりの地等々、観光名所が多い。その玄関口として函館駅は今後も重要だと思うのだがいかがなものか…。
函館駅
函館駅のホームからは現役のターンテーブルが見える。けっこうなことだ。かつては多くのSLが向きを変えたことだろう。しかし本線使用のC62やD52は五稜郭機関区まで移動して方向転換したように思う。ホームから見えるものは入換機のC58やラッセル車が利用したのではないか?などと想像するのも楽しい。
駅構内のヤードは広い。かつては本州へ向かう貨物でごった返していたであろう。今は客車中心の留置線となっている。青函トンネル利用の「海峡号」や急行「はまなす」は現在、全国で数少ない定期客車列車だ。夏場は「ドラえもん海底列車」にも利用されるので客車はドラえもんのマンガだらけ。ついでそれを牽引するELも正面がドラえもんの顔になっている。
函館駅前にはかつての連絡船の錨とともにD51の動輪が記念碑として飾ってある。船の錨とSLの動輪とはわかりやすくて良い。少し歩くと有名な朝市の通りもある。もっぱら観光用だ。その先には旧連絡船「摩周丸」がそのまま展示保存されている。青函連絡船の苦闘の生き証人なのだが、その維持管理にはこれまた苦労していると聞く。駅前の繁華街も寂れて、今では五稜郭付近が買い物、観光ともに中心になっているようだ。
しかし、2001年はSL「函館・大沼号」が運行された。27年ぶりのSL列車運転となった。駅や鉄道の意義を今一度考え直し、活性化を願う意味で、私も大いに賛同したい。4月下旬~6月上旬までの土日中心の運行は好評だったようだ。沿線の大沼公園、駒ヶ岳を見つつのSl列車の旅はなかなか楽しいと思う。2002年も走ってもらいたいものだ。函館駅の再興のためにも…。
五稜郭駅
ついでに五稜郭駅についても述べておこう。私は単純な勘違いをしていた。函館市、五稜郭市とあるものだと思っていた。実際は五稜郭駅も函館市内で、駅も隣、鈍行でも5分の距離。な~んだ、という感じ。
かつてはD52の集中配備機関区。現在も本州用のEL、道内用のDLがゴロゴロしているのが列車から見える。勿論現役のターンテーブルも見える。古写真ではD52.D51.C62が憩う五稜郭機関区が紹介されている。駅ではD51の入換え作業を見ることができる。貨物列車を見たいなら五稜郭かな?ちなみに戊辰戦争の幕府軍最後の砦、五稜郭は函館駅からでも五稜郭駅からも離れている。歩けば遠い距離だが、駅名に五稜郭とは気が利いていると思う。(2002.1/2)