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十勝地方、帯広
帯広
十勝地方の帯広は元気な町である。駅舎も立派な近代的高架橋駅に新装されている。駅前の再整備はまだまだだが、帯広名物の「豚丼」は益々好評である。昔の繁華街跡地を屋台村にしたのも成功したようだ。
十勝の内陸では真冬は-20℃以上にもまるが、その寒さも観光資源として活用している。-20℃というのは体験するとわかるが、本当に「痛い」というのが実感できる。そんな駅前にも温泉が沸いている帯広は観光と広域農業がうまくいっている稀有な町、のように思う。
さて、鉄道の町としての帯広はどうなったか?かつての広尾線、士幌線は廃線となって根室本線の乗換駅の役割は終わっている。広尾線は「愛国駅~幸福駅」の切符で30年前、大変なブームであった。ありがたいことに愛国駅にはSLの9600型、幸福駅にはキハ20型が保存してあり駅舎もそのままである。しかも幸福駅では今だ、駅そばの売店で「愛国―幸福駅」の硬券切符日付入りで購入できる。これは泣けるほどに嬉しい。
一方で士幌線はどうなっているのか?当時のSLブームでは広尾線のような流行はなかったが、今こそ「廃線跡ブーム」で人気が出てきているのは皮肉な話である。廃線跡の訪問は趣味として確立されつつあり、士幌線には鉄橋やアーチ橋が残っており貴重である。さらにこの鉄道遺物が北海道遺産にも指定されている。
士幌線跡は北の大地の自然と一体化しており、訪れる者を満足させてくれるだろう。しかし、ちょっと油断すると、せっかくの鉄道遺産も、ただの原野に戻ってしまう。現代の私達は先人達の苦労を後世に伝えていく義務がある。
池田町
帯広を出て根室本線を東に進むと十勝川温泉を左に見ながら池田町に入る。ここもかつて機関区があった。9600型ばかりのイメージだったが古写真を見るとD51やD60も見える。池田あたりまではD51やD60が入っていたことになる。
SL時代の終盤には池北線(現在は第3セクターの「ふるさと銀河線」)用に9600型が配置されていたが時には北見区のC58も入線していたようだ。その古写真も見ることができるが、機関区跡地はもはや住宅地となって、なんの痕跡もない。今や池田の名物はワインである。駅から見上げるワイン城の大きさには驚かされる。
近年(と言っても2001年)「SL銀河号」が北見-池田間を(1日片道のみという変則運転)走った。全部で6日間だったがDLの後押しなし、なのでC11は2両の客車しか牽引できない。
当然大赤字だが乗客は各自治体や企業の招待客ばかりなので問題なし?「ふるさと銀河線」も存続が厳しい路線のひとつだが、この池北線沿線は国鉄時代そのままの木造駅舎もたくさん残っており貴重である。
2002年には松本零二の「銀河鉄道999」のキハも走り出した。車両に描かれている「哲郎&メーテル」が「救世主」となってくれることを願うばかり。
白糠(しらぬか)
釧路へ向かう手前には白糠(しらぬか)という駅がある。ここは知る人ぞ知る白糠線の始発駅だった。山で石炭が出てそれを運ぶ専用線として、道内でも早いうちから開通した路線である。なんと白糠駅のスタンプは「おわかれ白糠線記念」(日付は1983.10/22)となっていて驚いたが、同時に物悲しい気分になった。
そして白糠あたりから根室本線は太平洋に出る。車窓からは、海と砂浜、湿原や葦野原など、美しい景色を楽しむことができる。急カーブが多いので振り子式でディーゼル特急の実力の見せどころだ。大楽毛(おたのしけ)という面白い駅名を通過すると、そろそろ釧路郊外の大煙突群が見えてくる。