北海道鉄道漫遊記

北海道鉄道漫遊記 2

函館を函館本線で北上すると長万部に着く。ここから函館本線は、ヤマ線と言われる倶知安、小樽経由で札幌へ行く路線と、東室蘭方面の室蘭本線・千歳線経由で札幌へ行く路線と別れる。
第二話はそのヤマ線の起点、長万部のお話をする。

ヤマ線の起点、長万部

素朴な疑問は長万部から東室蘭の路線名は何だろう?函館本線で良いのか?時刻表を見てもわかりにくい(正解は長万部―岩見沢が室蘭本線)。室蘭本線経由と言えども、札幌へは苫小牧から千歳線に入っている。これもわかりにくい。函館本線も札幌で終わりと思ったら大間違い。なんと旭川までが函館本線である。その距離423キロと実に長大な路線なのだ。100キロの速度で走っても4時間以上…。北海道は広い、ということがわかる。

長万部

さて長万部は、ご存知C62重連時代は小樽に並ぶ一大SL基地であった。ヤマ線用のC62重連は、この小樽―長万部間のみで、長万部―函館はC62の単機牽引であった。それだけヤマ線は勾配、曲線がきついということ。急行列車にはC62の高速とパワーが必要だったのだ。

C62重連の前はD51重連もあったが、要求される高速と曲線のためにD51の足回りが痛んで補修が大変だったと聞く。なるほど、さもあらん…。

1995.11/2函館本線小沢―倶知安のC623

長万部機関区にはD51、9600、C11等が配備されていた。今、長万部駅に訪れても、かつてのSLの栄光は、かけらもない。ヤマ線への分岐点も感動がない。

この分岐のカーブこそ、「さよならニセコ号」のC62三重連や、定期のC62重連の名撮影場所だ。夕日を浴びつつ長万部駅を発車するC62重連ニセコ号。当時、私は小学生だったが鉄道雑誌の写真を見てはため息をついたものだ。

ひとつ名物といえば駅弁の「かにめし」。今はホームで買うという優雅なムードは無い。特急列車が長万部で積み込んで車内販売している。後はドライブ途中に駅前の直営店に寄れば買える、邪道ではあるが駅弁存続のためにはこれもあり、かもしれない。信越線横川駅の「峠の釜めし」もドライブインで販売しているご時世だから…。

スーパー北斗の車内で名物駅弁は買えるが…

C623号機復活

ヤマ線には大きな峠が4つある。C623号機が復活したのは1988年(昭和63年)~1995年(平成7年)の約8年間。その4つある峠のうち3つを含む小樽―倶知安間(その後ニセコまで伸びた)をC623は、旧客5両を牽引して走り始めた。

復活当初私は四国の高知にいた。鉄道雑誌を見て驚いた。「でも遠いな」、というのが実感だった。

ところが1992年に私は横浜へ転勤、チャンス到来。しかし渡道が実現したのは最終年の1995年だった。9月の秋晴れと11月の涙のラストラン。凄かった、素晴らしかった、それ以外の言葉がみつからない。

1995.11/2函館本線小沢―倶知安のSLニセコ号

長万部は今や鉄道でも、自動車でも単なる通過点となって、これと言って有名な観光名所に乏しい。駅名が有名なだけで中身がないのは寂しい。

何か鉄道で「町おこし」はできないものだろうか?北海道新幹線の構想もある。青函トンネルを利用して新幹線が函館(五稜郭あたりか?)まで開通したら次は長万部まで、と地元は期待しているらしい。さて、それはいつのことやら。

また、新幹線に頼るのもどうかな、と思わざるを得ない。このままでは、これまでと同じように、ただの通過駅、乗換駅になるような気がする。いらぬお世話か?

次回はヤマ線のつづき、倶知安、小沢界隈のお話。(2002.1/2)

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