北海道鉄道漫遊記 10

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長い永い北海道の旅が続いている。10話でようやく旭川に着いた。ここが北海道のど真ん中、ではない。地図を見ると真ん中は旭川を富良野線で南下した富良野だろう。狩勝峠を越えての帯広は少し南過ぎる。その旭川は函館本線の終着点、石北本線と宗谷本線の始発点である。旭川もSL時代は大変な賑わいであった。大きな機関区から年中煙が立ち昇っていたことだろう。しかも旭川は北海道第二の大都市。さらに豪雪、厳寒の土地でもある。よくぞこのような都市に30万人も住んでいるものだ。

旧神居古澤駅構内の9600型、C57、D51

旭川の手前にかつて函館本線の旧線最後の難所、神居古澤(かむいこたん)駅がある。今は新線となり、急勾配は解消されている。残った旧駅舎はそのまま記念館となりSLが3両も保存展示されている。旧駅は渓谷美があり、夏は新緑に囲まれ、しばし見とれてしまうほど。駅へは対岸から白い釣橋を渡って階段を登る。こんな自然に囲まれた駅舎とホーム、さらにSLの保存は素晴らしい。露天なのにSLの状態も良好である。
 
旭川駅も広大だが貨物駅は別なので側線は剥がされて閑散としている。はるか向こうの富良野線ホームまで地下トンネルで繋がっているが、無駄な距離に思われる。機関区(正式には旭川運転所)は、さらにはるか東にあり、ホームからはかろうじて給水塔が見える程度。私は2度許可をもらって機関区内を見学・撮影させてもらった。大正生まれの扇形車庫と緑の転車台。ぐるりと覆う扇形車庫は円の2/3もあり、その扇の要に建物があるので閉鎖感が強い。この車庫は2003年で取り壊すらしい。設備も駅の西側に引っ越す予定だと聞いている。もうSL時代の機関区も見納めなのだ。(※記事作成時は2003年)
 
旭川機関区の往時はD51、C55、C57、9600型が多数配置されていた。D51は宗谷本線の名寄までと、石北本線の遠軽、北見まで。C55、C57は函館本線に宗谷本線の客車。9600型は富良野線である。なんと言ってもD51の大活躍は宗谷本線の塩狩峠と、石北本線の北見峠、常紋峠である。北見峠はSLブーム前にDL化されたのであまり有名ではないが、乗務員にとっては旧狩勝峠越え同様に過酷な業務であった。今、私は特急オホーツクに乗ってしばしば通過しているが、DC特急でさえあえぎながらの走行である。だから早くにDD51が投入されたのであろう。D51重連当時の苦労は、今でも想像に難くない。

2001.8/26旭川運転所SL塩狩号用のC11

塩狩峠は小説でも有名だが旭川から北上するとすぐ山越えである。SLの終盤はC55の活躍が有名だったが、地道に後押ししていたのはD51である。長大な貨物もD51であった。名寄からはD51が入れず9600型が貨物を担当していた。平成12年、13年の夏、C11のSL「塩狩」号が運転された。特に平成13年はヘッドマークなしで旧客4両、士別―名寄間はDLの後押しなしで運転されSLファンを喜ばせた。私も喜んだ一人である。
 
北海道の鉄道を巡る旅もようやく半分。さらに宗谷本線を北上しつつ、名寄、稚内へ行ってみようと思う。ついでに今は廃線となった名寄本線にも立ち寄りたい。1975年に訪れた路線であり、思い出も多い。さて、どんな話をしようか…。(2003.1/3)

旭川駅の特急オホーツク(キハ183系)


*この車両がガラガラッという轟音と共に黒煙を上げて石北本線を疾走する。

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