北海道鉄道漫遊記 8

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夕張線のお話。ここは有名な夕張炭田があった。石炭をヤマから追分経由で苫小牧、室蘭に運ぶために夕張線はあった。ヤマへは大夕張鉄道、真谷地炭鉱線などの私鉄も活躍していた。国鉄最後の定期貨物は予想通り夕張線であった。最終の栄光はD51241号機、煙突が異型の追分型D51の仲間であった。
 
SL全廃となる丁度1年前に夕張を訪れた。まだD51重連の定期貨物列車が残っていた。主に沼ノ沢を拠点にして夕張より、追分よりで1日中撮影した。実は沼ノ沢駅前には旅館がなくて駅前の八百屋に泊めてもらった。深夜寝ているとD51の息ずかいが間近に聞こえ、ワクワクした。やがて深い眠りについた。忘れられない夜になった。
 
そんな思い出を抱いて再訪すると、沼ノ沢駅は無人駅になっていた。広い貨物ヤードは荒地になっていた。八百屋は?あったけど人気がなかった。訪問してはいけないような気持ちになって、そのまま立ち去ってしまったが、今は後悔している。次回寄った時には、挨拶の手紙でも置いてこようかと思う。

沼ノ沢駅を発車するD51

話は現在の函館本線に戻る。札幌を出て旭川へ向かう。途中に岩見沢、美唄、滝川、深川と続く。当時のSLファンなら、この地名を聞くだけでD51、9600型の活躍が目に浮かぶことだろう。まず、岩見沢はご存知最後のSL王国の一つ。D51、C57、9600が所狭ましと行き交っていた大機関区があった。今でもレール工場があって、往時の建物がいくつか残っている。広大な貨物ヤードは、ほぼそのままで、荒地となっている。
ここも残念なことに古くからの駅舎が昨年火事で焼失してしまった。それでも列車の窓から見える現役のターンテーブルは嬉しいものである。

美唄は私鉄の美唄鉄道が出ていて、当時は石炭列車がいくつも待機していた駅だ。美唄鉄道では国鉄払い下げの9600型、4110型が数両いた。特に4110型は5つの動輪があって勾配線用で、現役としては最後の車両で貴重だった。今年は駅舎も新しくなり、貨物ヤードも公園や宅地となって、SL時代の面影はなくなってしまった。

滝川も機関区があったのを知る人は少なくなったかもしれない。当時はあの根室本線の起点として重要かつ大規模な駅・機関区があったと聞く。今、根室本線は、新得以東は、釧路・根室へ向けて、札幌からの新型特急がバンバン走っている。石勝線の開通は、滝川-富良野-新得間の必要性をさらに低下させている。

深川は今もSL時代の遺構が残っている。ホームの端から3車線のレンガ車庫が見える。当時はこの前にターンテーブルがあったはずだ。このレンガ車庫もいつまで残っているかわからないが、眺めて往時を想像するのは楽しい。ここはご存知復活SLの活躍路線である「留萌本線」の起点である。私も「SLすずらん号」の撮影や乗車のために何度も訪れているのだが、駅前は寂しいものである。留萌本線の話は次回にしようと思う。

岩見沢からちょいと東に入った三笠も忘れてはならない。ここから幌内線があり、三笠駅からヤマ(炭坑)へ支線が出て、9600がピストン輸送で活躍していた。私がSL時代に訪れた時はまだ石炭列車が走っていた。その後、炭鉱は事故で閉山、その上、幌内線も廃線となってしまった。しかし三笠駅はそのまま交通記念館として残り、今もとてもキレイに整備された公園となっている。DD51や貨物、特急車両が保存してある。

炭鉱駅だった幌内駅も三笠鉄道記念館として整備され、なんと私鉄用SLが展示運転されている。他に9600、C12,客車も多数保存展示されていて楽しい。この幌内駅で私は、昔々9600の運転室に乗せてもらって走った思い出がある。予想以上の轟音と揺れに驚いたものだった…。(2002.7/7)

幌内線の炭住街をバックに走る9600

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