北海道鉄道漫遊記 7

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室蘭本線は昭和50年当時、最後のSLの砦として全国のSLファンが集まった路線である。貨物は勿論、客車もSLが牽引する列車が何本もあり今思い出しても夢のようである。特に若干の勾配のある栗丘―栗山間は人気が高かった。撮影名所、まずは定番をおさえるということだ。次に沼ノ端あたりの直線区間、さらには白老あたりの国道並走区間が有名だった。殆どが平坦な路線だが、冬はどこでもSLは絵になった。
 
苫小牧から室蘭本線を北上すると当時のSL2大SL基地の一つ(昭和50年時、もう一つは岩見沢第一機関区)追分駅に着く。SL最後の定期貨物列車は追分―夕張間であった。正に鉄道の街として栄えた追分も今や寂しい限り。石勝線という新線が札幌―帯広―釧路を4時間で結ぶようになり、かろうじてその本線上に追分駅はある。特急が止まるのは、室蘭本線との連絡というお情けかもしれない。
かつての広い貨物ヤード、機関区は跡形もない。9600やD51が所狭しと行き交い、石炭列車の入換えが、やかましかったろうと想像する。哀れなのは最後まで働いたD51達。それぞれ、展示や保存が決まっていたのに、木造扇形車庫の火災でみんなスクラップになってしまったということ。嗚呼…何たる悲劇。駅前を歩くとそれなりに鉄道の街らしい遺構もあると聞くが、物悲しいので立ち寄れないままである。
 
追分をさらに北上すると、いよいよ栗山である。大した勾配ではないのだが、定数以上の長大貨物を引くD51には難所となる。サミットにはトンネルがある。本線の複線は大きくカーブして離れてトンネルに入るので、撮りようによっては単線に見える区間である。
その複線も今はそのままにしているが、使用は単線のみ、単行のキハ40がガラガラと音をたてて走っている。本線のなれの果てを見るというのは悲しいもの。しかし、なくなった名寄本線を思えば、まだ、あるだけ良いか。

栗丘駅を発車するC57135

2001年5月、なつかしの栗丘駅を訪ねてみた。あったあった、小さな小屋のような駅舎が。当時の木造とは違うが変わらずに、そこにポツンとある。カーブしたホームもそのままだ。昭和50年3月末、そばの踏み切りでC57135の客車を撮った、二度目は、帰りにD51の客車で岩見沢に戻った、…等々が鮮明に思い出された。栗丘では吹雪いたり、時に晴れたりの2日間だった。まさか、もう一度訪れるとは夢にも思わなかった。栗山寄りに行くと、カーブの築堤やトンネル、クロスする国道があり、当時と何ら変わっていないのに感心したり、驚いたり。

実に26年ぶりの再訪であった。私は朽ちかけたホームに座り込んで、ボンヤリしていた。もうD51はやって来ない。駅のまわりは畑になっていて、タンポポの黄色が咲き乱れていた。足元には「つくしんぼ」。時にはこんな訪問も良い。

夕日を浴びて驀進!D51貨物(室蘭本線:栗丘)

ついでに夕張にも寄ってみた。「バリバリ夕張」というネーミングで町起こしに成功している街である。なかなか元気な印象で、夕張メロンや映画の街として有名になった。夕張炭鉱跡、夕張駅貨物ヤード跡は遊園地や歴史館になっている。現在のJR駅はぐっと前進して、いきなり終点、小屋のような新駅舎になっている。これもひどい話しで、なんの風情もない。鉄道客をもてなす精神は無いと言える。ただし、旧駅舎は遊園地の入り口に、場所、形もそのままに管理事務所として健在だ。これはありがたい。単に合理的な発想で、あるものを使用しているだけ、かもしれない。
次回も少し夕張のお話をしたい。(2002.5/25)

D51の石炭列車が行く(夕張線:沼ノ沢)

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